トック氏が送る
ノーマル映画レビュー




アメリカン・ビューティー

(AMERICAN BEAUTY・1999)


アメリカン・ビューティー


−アメリカは地獄行きだ!−

 

あらすじ

 

レスター(ケビン・スペイシー)は広告業界で働くリストラ寸前のサラリーマン。

不動産業を営む妻キャロリンとの関係は冷め切っており、セックスレス状態。

夜な夜な風呂場のオナニーで自分を慰める毎日だった。

娘のジェーンは両親に愛想を尽かし、食卓での家族の会話は形式上の冷ややかなものになっていく。

そんな或る日、レスターはキャロリンと共にジェーンがチアガールになって応援しているバスケットの試合を観に行く。

そこで出会ったジェーンの同級生アンジェラに一目惚れ。

アンジェラをきっかけに、レスターは自分の生活を変える。

レスターとアンジェラ。

ジェーンとその隣人リッキー。

キャロリンと浮気相手の不動産王。

それぞれの恋愛。

それぞれが正直に生きた先にあったもの。



感想


登場人物を観ている内に、誰に最も感情移入し、共感したかでこの映画の感想は随分変わってくると思う。
アメリカンビューティーというタイトルは、キャロリンが花瓶にさしているバラの花の名前。
キャロリンは不動産業で成功を収めその金で自宅を自分好みにリフォームすることが生きがい。
アメリカンビューティー(薔薇)はそのキャロリンの生きがい、ビューティーが形になって表れたもの。
作中では、キャロリンのみならず、それぞれの登場人物の「ビューティー」が映画の中で描かれ、変化していく。
レスター家の人間が見つけた、それぞれのビューティーを見て、共感、感動するものがあるかもしれない。

またタイトルにはアメリカの病んだ家庭状況をシニカルに表現した、半ばそういう意図が込められていると思う。
でも映画を観ていると、んなことどうでもよくなってくる。アメリカンビューティーにはもっと魅力的な部分が他にある。
ただそこに生きている人間を描くこと。自分にとっての美しさは身近にあって、稀に見えなくなってしまうこと。
当たり前のことなんだけど、それを冷めさせないように緻密な構成と設定でリアルに見せてくれる。それがスゴイ。
でも何度も観たい映画じゃない(俺は)。1度観て心の何処かにとどめておければいいかなって感じ。
ブギーナイツと少し似てっかなっーて感覚に陥るんだけど、「ブギーナイツ」の方が馬が合う。
あんな無茶やってないけど、なぜかノスタルジーを感じる。なんでだろう。


リッキーとジェーン

 

死を観察し、その美しさをビデオに収めるリッキー青年。
彼が誇るとっておきのビデオ。それはビニール袋が宙を舞う、ただそれだけの光景を映したもの。
けれど確かに観る者をはっとさせる何かがある。
ぼろぼろになりながら風に翻弄され、ただ舞い続けるビニール袋はそれまでの物語と
リッキーとジェーンの境遇によって、意味を持ちえるし、哀しさを感じてしまう。
そしてジェーンはリッキーとそのビデオを観て、自分と相手にとって共通のビューティーを発見する。

で突然だけど俺はリッキーが大嫌い。めちゃくちゃ嫌い。
俺自身、自分に観察したがりな部分があると思うので、同族嫌悪なのかもしれないが、
リッキーが観察者の立場を捨てようとしないのが、一番の理由だと思う。
日常、恋人をビデオに収めたり、カメラ越しに話し掛けるなんて行為が凄く嫌い。
目の前にいる恋人に触れて、その暖かみを感じないような奴は、一生観察して保存してろと言いたくなってしまう。
親父がナチマニアのゲイ、暴力は数知れず、内気で神経症寸前の母親。
こんな家庭環境で育ってしまったら、目の前の流れに飛び込めない、観察者になってしまうのは分からなくもない。
逆に言えば、そこに設定の上手さを感じる。リッキーに限らず、アメリカンビューティーの設定には隙がほとんど見当たらない。

現在のリッキーはそうやって育ってしまった哀しさと、彼自身の若気の至りの結果なんだろうけど、
俺は同情心よりもこういう人間にはなりたくないな、と心底思ってしまうわけで。
というか、俺自身が何の目的もなく写真を撮ってそれをアルバムに残したりするのが凄く嫌い。
自分の記憶から消えたら、それは自分にとってそこまでの存在だし、今の自分にはもっと大切な何かが存在しているはず。
先取りの保存はしたくない。そう思っているから、今見えている存在に手を伸ばさないリッキーにむちゃくちゃ腹立ってくる。
ここら辺は個人の感覚つーわけで「私とは違う」って人は読み飛ばしてください。ごめんなさい。

で話を戻すと、逆にジェーンは対照的な人間。見られることをとても気にしてる。
この二人が出会って結ばれたのは自然の成り行きなんだな、と思える。
隣の窓から自分を盗撮していた男を好きになるなんて、と思うかもしれない。
でも、それまでの2人を考えればくっつくべくしてくっついたカップル。
ジェーンは美しい友人アンジェラがいるために、自分の容姿が醜いと信じていて(実際はそれほどでもない)、
見られることを気にしながらも、自分が見られることに嫌気がさしているし、もっといい顔を持ちたいと思っている。
リッキーは生や死など彼が考える物事の真理をカメラに収めて記録することが生きがいだった。
観察し続けていたリッキーが初めて、自分の窓越しから見える女性に、今までと違う何かを感じ惹かれる。
しかし観察者の立場を捨てたくないため、もしくは観察してビデオの中の対象について語るしか方法を知らないので
しっかり観察しよう、保存しようとリッキーはカメラを回す。
自分は醜い。しかしそんな自分を盗撮とは言えしっかり見てくれたリッキーにジェーンは興味を抱く。それは自然な流れだと思う。
同時にカメラ越しに覗くという行為の意味がまだ理解できないジェーンに少女の未熟さを感じてしまうんだけど。

この2人を追って行くと、リッキーは変わらず観察者で居続けるが、ジェーンの考え方が変わってきていることに気づく。
容姿ではない自分の存在を「観られる」ことで、今までの自分の未熟さに気づき、ジェーンは見られる立場から見る立場に踏み込んで行く。
今まで目を背けていた、荒廃した自分の家庭を考え、その結果、自分の友人に熱をあげているレスターへの憎しみが湧き上がってくる。
そして「パパなんか死んでしまえばいい」と軽い殺意さえ抱くようになってしまう。
しかし見ることを意識したジェーンからは、序盤のいかにも幼かった反抗期的少女のイメージが消え去っている。
混乱した母親に自分なりの意見をぶちまけ、自分の居場所と存在をしっかり確保しようとする。
それで家庭が例え破滅に向かおうとしていても、ジェーンは前よりも自信を持ち、魅力的な自立した人間になった。
それがこの映画に描かれた最もナマっぽい部分だと思う。乱れ飛ぶビニール袋よりも。



レスターとアンジェラ

 

かなり私事が入ります。
この映画、実は公開当時(2年前かな)、付き合っていた彼女と観に行ったんだけど、
自分達の関係がレスターとアンジェラにちっとだけ似ているって感じで、レスターに共感してしまった。
共感してしまうところがおっさん臭いというか、アホというか。

当時付き合っていた彼女は服装がオネーで遊んでそうな感じ、
でも実は高校時代からアンジェラを地で行ってた、そんな子だった。
で俺は、前の彼女と訳あって別れて、そのことをまだ情けなくも引きずってて、
その時に彼女が現れて告白されて、なんとなしに付き合い始めて、かなりふらふらしてる状態だった。
でアメリカンビューティーを観た時は、まだ完全にエッチしてなかった。
そんなわけで、観終わったあとは、それなりに、きまずかったり。

レスターとアンジェラは異性に関して共通した悩みを抱えている。
どう見られているか、ということ。腹出たオッサンのレスターは憧れのアンジェラをゲットするため、日々肉体改造。
アンジェラは自分が処女だと知られたくないために、如何にもイケテル女って感じの服を着込んで、友人と男の会話を繰り返す。

大人の男に憧れていたアンジェラと、久々惚れた女に燃え上がるレスター。
さあセックスの段になって、アンジェラは「実は処女なのよ、怖いの」とネタバレする。
「ああ、処女っぽいな」とレスターと会話するシーンで思ったんだけど、やっぱりそうだった。
その瞬間、今まで女追っかけてて「野郎」だったレスターが「父親」の顔に変わる。
冷静に見れば「どうしようもねえなこいつ」って感じだったオッサンが急にかっこよくなって「服を着なさい」と父親に変わってしまう。
ケビン・スペイシーの転換上手な演技もさることながら、このシーンが凄く印象的で、当時の状況と直リンしてたからなのか、
自分の中に嫌な感情が湧き立ったり、妙な感動を覚えたり、「自分は映画を観てる」って枠を外れた感情を持ってしまった。
横の彼女を見て「俺いい加減すぎだった。もっとまじめに相手のこと考えるべきだった」と自己嫌悪に陥ったり。
たかが映画で、んなことまで思うのは、よく考えずに、さらに言えば自暴自棄状態で付き合ってたって証拠で、
その日バイバイしてから、渦潮に巻き込まれるように自己嫌悪スパイラルに突入(な、なさけねえ)。
映画館を出た時、彼女は「面白かったよ、来てよかったね」て感じで細かい感想については他に何も言わなかったけれど、
表情やテンションから、いつもの我侭っぷりと天真爛漫さが抜けて、凹んで色々考えてるってのが丸分かり。
でいっぺん凹むと限りなく凹む奴だったから、その後飯食いながらフォローしつつ、頭の中では、彼女の心の準備が出来るまで待つべきで、
彼女とエッチする時期がくれば、またそれなりの覚悟決めないとな、とやけに気合い入れて考えてたり。
なんじゃそりゃと。お前は二十歳超えてヌルヌルの甘ちゃんかと。アホかと。
俺は彼女のオヤジじゃねーんだから(彼女隠れファザコンだったけど)、といい聞かせながら、どうするべきかな、と考え、
(初めての相手は俺の前に済ませてたんで、処女の子とエッチしたのはその時の彼女が初めてだった)
アホかお前は、と自問自答しながらまた考えて。結局アメリカン・ビューティーにモロ影響されてしまった。
つーかほんっとアホだよな。ここに書いてることも含めて。まあアホでもいいや。それだけこのシーンに感情移入してしまった。
そんなわけで、ちょっと影響されやすくてどっちかがセックス未経験のカップル
(ふわふわした感じで付き合い始めたカップルはなおグッド)は一度考えてから観た方がいいんじゃないの、と余計な忠告をしとく。
んなバカは俺だけだったらいいんだけど。

恋愛は成就しなかったけれど、見られることから解放されたレスターとアンジェラは何処か安心したような顔つきで、自然な会話を繰り返す。
見栄や体裁にとらわれていた自分に気づいた時、自分のなかで何が大切だったか気づく。
レスターは父親としての自分を思い出し、アンジェラは初めて恋愛に失敗し、相手を思いやることを知る。
オッサンと女子高生は関係が終わってから自分にとっての安らぎを得る。
不思議に暖かく、数あるアメリカンビューティーの見所の中でも特に印象的なシーンでした。


END


というわけで、気が向いたら、ここもたまーに載せて行こうと思います。

それでは。





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