トック氏が送る
トラウマ夢日記


−白昼夢− /時期失念/



確かそこは、浪人していた時に入り浸っていたFの家だった。

自信がないけれど、たぶんそうだと思う。

川が干上がってしまうほど、暑い夏の日。いつも通り2人でだらだらしていた。

 

台所に向かい、フライパンに油を引いて目玉焼きを作っている。

卵を2つ割って、目玉が2つ。

卵の白味がだんだんと色濃くなっていくに連れなぜか不安になる。

Fは化粧を落としていて、風呂でのぼせたような顔をしていた。

ぼっーとベッドに座ったまま後ろから呼びかけてくる。

「あーつーい」

「暑いね」

暑いのに、どうして目玉焼きなんか作ってるんだろう、という気になる。

いらいらしてきた。

Fもいらいらしているらしく、ベッドの縁に腰掛けて、上半身だけ倒してごろごろし始めた。

「このまえさ、Tさんといた時に」

いらいらしていたので、生返事で無視してしまう。

目玉焼きができた。皿に乗せて、Fとそれを食べる。

どうしてこんなに暑いんだろう。いくらなんでも暑すぎる。

そう思って外の景色を見た。窓の外は真っ白で、空間が不真面目に歪んでいた。

屋根瓦、工場、電信柱がぐにゃぐにゃに曲がっている。

まるで、油絵。

 

「火事!」

 

誰かが叫んだ。火事!火事だ!火事!

「火事だって」

Fが思い出したように俺に呼びかける。火事だって。

「みたいだね」

「涼しいとこに行きたい」

「○○(よく通っていた喫茶店)行く?」

「あー、でも外出たくない。うわ、ヤバイ」

「なんで?」

「溶けてる、溶けてる!ほら!」

「溶けてんね」

その通り、景色は溶けていた。それに加えやけに白味がかり始めた。

 

「あっーーーーー!!」

 

どうやら誰かが逃げ遅れ、焼け死んだようだ。

でもどうすることもできない。外は非日常の世界だ。

火事は自分と関係のないどこか別の空間で起こっているのだ。

 

 

−備考−

 

・目玉焼きが気持ち悪い。

・火事はどうしようもない。

・景色の歪みが現実離れしていて不気味だった。
−ビジテリアンの集い− /二年前の冬/

 

映画館のような段差が激しいホールの中で、会議は膠着したまま結論が出なかった。

菜食主義者と食の自由派が激しく議論を戦わせていた。

俺は菜食主義者の特徴に興味を持って会場にもぐりこんだ。

しかし会議の内容はつまらなかった。要点をまとめると

 

菜食主義者の主張

■肉を食うというのは殺生であるから、信念、もしくは宗教観にそぐわない。だから私は肉を食わない。

■あなた達は罪を犯している。肉を食うのはやめましょう。人間は肉を食わなくても栄養学上、生きていける。

■私の家族は前から菜食主義者でして、云々。

 

非菜食主義者の主張

■菜食主義者の考えは、食っていたものを食わないという点でより異常と言わざるをえない。

■肉を食うのも法律上当然の権利であるから、他人にとやかく言われる筋合いはない。

■お前らは普通じゃない。みんな肉を食っている。マイナリティーな人種が何を言う。

 

だからなんなんだ、と思う。肉を食いたい人は食えばいいし、食いたくない人は食わなければいいのに。

その内に、菜食主義者たちが主張を終えて、会場は盛大な拍手に包まれた。

 

食事会が開かれる。面白そうなので出席することにした。お偉方が集まるような高級ホテルの一室でそれは行われた。

品の良いクロスに各々が上品に笑う声が聞こえてくる。なんだかい辛いな、と思う。

 

料理が運ばれて来る。皿の上には美味そうなステーキが、まだ熱を保ったままでパセリと合わせて乗せられていた。

当然菜食主義者達はそれを食わない。食の自由派の席へと運ばれてくる。

菜食主義者の席にはいかにも味の薄そうなポテトサラダが到着した。

俺は食の自由派、なので、ステーキを食べようと思い、ナイフとフォークを手に取る。

一瞬、汚らわしい、残酷だ、という眼で菜食主義者達が俺を見たので、いい気分がしなかった。

 

気を取り直してステーキをナイフで切ると、肉の切れ目から細長い蛆虫が這い出てきた。

芥川竜之介の「歯車」を思い出す。確か、ステーキを食う時に蛆虫が出てきたはずだ、と。

それからドッペルゲンガーの話を思い出す。

 

「第二の僕、――独逸(ドイツ)人の所謂(いわゆる) Doppelgaenger は仕合せにも僕自身に見えたことはなかった。」

 

歯車。

そうして周りを見ると、菜食主義者達の人相がどこか似通っているのに気がついた。

皆すべからく温厚で怒りが抜け落ちてしまったような顔をしている。ああはなりたくない。

 

がしゃん。金属音。誰かが皿を床へ落としたようだ。何があったのだろう。

 

かなり離れたテーブルで事件は起こっていた。

食の自由派の男が悪乗りして、菜食主義者の女性に肉を刺したフォークをつきたてたのだ。

菜食主義者の女性は一切れの肉を無理矢理飲み込まされて、少し経ってからしくしく泣き出した。

「ああ、食べてしまった」

 

抵抗できないと知るとあとはもうやりたい放題だった。

面白がった食の自由派の人間は菜食主義者の腹をフォークで突き刺した。正気の沙汰とは思えない。

そこら中、怒りの声でいっぱいだった。険悪なムードはすぐに戦争へとつながった。

もう誰も冷静ではなかった。みんながみんな殺しあった。戦争だ、戦争だ。

 

バカらしい。

 

−備考−

 

・菜食主義者、食の自由派、両者とも異常。

・自分が居ること自体が間違いだったように思える。

・肉は美味しそうだったのに、蛆虫が入っているなんてもったいない。

−旅情編−  /一年前の夏/

 

旅館。松ノ木。潮の匂り。

西。たぶん、西だ。

どれだけ来たか分からない。

海に面した、山のふもと。

3日間の休養。それから明日はまた仕事。

眠い。たまらなく眠い。

眠りたい。

自分の部屋に入って身体を休めたい。

しかしそうするわけにはいかない。

絶対に眠ってはいけない。

眠ったら最期だ。

 

きっかり八畳の居間。真中に巨大な切り株をそのままひっこ抜いて来たようなテーブルが置かれていた。

大きなガラスの灰皿がひっくり返っている。長い間、誰もタバコを吸わなかったのか、埃が降りていた。

タバコ。NICOTINEが欲しい。ポケットを探るが、あるはずのそれが見つからない。

 

紺の着物に身を包んだ女が立っていた。大柄だった。ここの女将さんだろうか。

顔を上げたら目の前にいた。いつのまに?分からない。170あるか、ないか。

 

彼女の目は慈しみを帯びていた。またそれはいくらかのいたたまれなさを含んだ目だった。

髪を丁寧に結っていて、古めかしい優しさが、紺色の着物を通して溢れていた。

 

「似てますね」

 

半ば諦めたような表情で、彼女は言った。彼女の言葉が空っぽの頭の中で直に響いた。

 

彼女は着物の紐を緩め、裸になった。胸から腰へかけてのカーブはまだ美しさを保っている。

18の女のような手つきで髪結いを外した彼女を、俺は自然に抱きしめた。

ばらばらにほどけた髪を掻きあげる。親指で眉を優しくなぞり、頬を撫でおろす。

彼女の唇が瑞々しい芋虫のように俺の左肩を登ってくる。右手を伸ばしそうっと白い乳房に触れた。少し暖かかった。

けれども肌に若い女の弾力がなかった。

子供を産んだ身体だ。

頭に漠然と28の数字が浮かんた。

 

海。砂浜。潮の臭い。

浴衣に着替え、2人で波打ち際を歩いた。夜店の明かりは消え失せ、月明かりが白波を映した。

砂の上に漠然と置かれた灰色の塊。走れない車だった。

バンパーがひしゃげ、片方のタイヤがパンクしているせいで右斜めに少し傾いてる。

 

きまぐれに車体の天井へ登った。

後ろに手をついてフロントウインドウに足を投げ出す。高い位置から海を見下ろすと、世界がよく見えた気になった。

真っ黒い海が荒れていた。先にあるのはただ濃くなってゆく暗闇だけだった。他に何もない。

下に手を差し出す。彼女の白い腕が闇の中からするりと伸びてきた。

随分細い手だ。抱いている時には気づかなかった。

 

「明日・・・・・・」

 

また会える?と聞く前に、彼女は俺に寄りかかり、そして泣いた。

 

「本当は、好きでも、なんでもない」

 

「分かってる」

 

言ってしまったあとで少し嫌な気分になった。

嗚咽と潮騒が混ざり合い、廃車の上で小さな渦を巻いた。

 

彼女は男に捨てられた。私生児を産み、そして亡くした。ずっと前から一人ぼっちだった。今の今まで一人ぼっちだった。

彼女が産んだ娘。会ったこともない彼女の娘の顔がはっきりと浮かんだ。純朴。

 

写真・・・・・・。写真が見える。

色落ちした赤色の生地に白の水玉がちりばめられたワンピイス。華奢な身体にとりつけられた、やけに長い手足。

写真の中の少女はそのか細い手で自分の死を受け入れていた。この子は歯が抜け落ちるように死んだのだ。

 

二人で寄り添って海を見ていた。

彼女の肩を抱き、渦が二人の中心で消えてなくなるまでじっとしていた。

 

泣き止んだ後、彼女は車から飛び降り、車のドアに手をかけた。開くはずがないと思った。

けれど見た目にも歪んだドアは音一つ立てずに開いた。それどころかほこり塗れの車内に薄ぼんやりと明かりさえ点いた。

驚いて飛び降りる。砂が足を捕らえる。シートはずたぼろの雑巾のように破れ、いたるところに砂粒が散らばっていた。

彼女は崩れかけた後部座席に寝そべった。打ち上げられたイルカのように寝転び、腫らした目で肩からゆっくりと浴衣を脱ぎ、胸を露にした。

俺は開かれたドアに背をもたせたまま、まるでストリップでも眺めるようにそれを見ていた。

少しも性欲を感じない。感じるべきだ、と思ったが、心が動かない。

自分の性欲と呼応したように海が動きを止めた。その時どこまでも静かだった。

何か言おうとした。しかし何も言葉がでなかった。

 

彼女はすっかり裸になった。

柔らかい太ももの間に薄い陰毛が覗き、中心を際立たせるようにオレンジ色の光が当たった。

 

 

−備考−

 

・起きた後で、彼女が現実にいる人だと気づいた。

・彼女が持っていた不倫相手の写真を見せてもらったが、顔が自分にそっくりだった。

・起きた後、かなり気分が悪かった。

−金魚の父親− /二年前/


仮装パーティーに出席しているが、自分だけ仮装していない。

丸椅子に座り、仮装を施した人達を眺めている。皆奇抜な格好をしているので、眺めるだけでも面白い。

 

足にゴムボールがぶつかった。ぶつけたのは背が小さい男の子だった。8歳くらいだろうか。

「ここで遊んじゃだめだよ」と優しく注意したが、言うことをきかない。

周りの人達が、この子はなんなんだ、と非難の目を向ける。大人気ない。

男の子は流石に周囲の視線を感じ取り、ボール遊びを止めた。

そして絨毯が敷かれた床につまらなそうに座り込み、またボールを投げようか投げまいか迷っているようだった。

少し心配になって

「おかあさんは?」

と聞いてみた。

「ひとり」

「一緒に来た人は?」

「いない」

嘘を言っているように見えなかった。

係員に言って、保護者を探してもらったが、結局見つからなかった。

男の子を車に乗せて家まで送り届ける。何故か高速道路を走っていた。

分かるはずがないのに自分はその子の家を知っていた。

 

家に着いた時、男の子は後ろの座席でもう眠ってしまっていた。

無理に起こすのも可哀想な気がしたので、家の前で車を停めて、チャイムをならす。

返事がない。

と突然ドアが開いて、母親が今にも泣き崩れそうな顔で、にょいと出てくる。

30過ぎだろうか。母親というよりもまだ女に近い感じがした。

子供を1人で放っておくなんて、と思っていたが、彼女を見た瞬間、仕方がないのかな、と思ってしまった。

どうしようもない理由があるような気がした。8歳前後の子供が1人で家を出て行かなければならない理由が。

ただそれが何なのか、分からない。

 

息子さんを連れてきた、と伝える。

「1人で来てましたよ」

そう言うと、母親は安心した顔でお礼の言葉を口にした。いくぶん皮肉を込めたつもりだったから、少し拍子抜け。

母親の言い分では「あの子はしょっちゅう1人で飛びだしていって友達の家や近所の仲の良い家族の家に泊まっている」らしい。

 

仮装パーティーからここまでの経緯を一通り伝えた後、母親に「泊まっていってください」という風に誘われる。

我慢できないほど腹がすいていたし、正直疲れていて家へ帰る気力もなかったので、結局、泊めてもらうことにした。

車の中で眠っている子供を起こさないように、静かに両手で抱きかかえて、玄関をくぐる。

入って左手にある襖を開け、青畳に敷かれた布団へ子供を寝かせる。ぐっすり眠っていて起きそうにない。とても気持ちよさそう。

 

ふと部屋の奥のふすまに目をやると、ちょうど手の平が入るくらいの隙間がある。

他人の部屋を探るべきじゃない、とは思ったが、どうしても奥の部屋を覗いてみたくなって、襖をそうっと開いてみる。

目の前に広がったのは、茶色い壁に囲まれた殺風景な部屋。タンスも机もゴミ箱も仏壇もなかった。電灯すらなかった。

ただ1つあったのは部屋の中央に鎮座する巨大な金魚蜂だった。大きさで言うと、36インチのテレビくらいだ。

中には新鮮な水が注がれていて、巨大な赤い金魚が一匹、世のあらゆる物事を悟ったようにふわふわ漂っていた。

この家に父親はいない。成人男性が生活している匂いが感じられない。それも、だいぶん前から。

 

台所に出て、母親と話をする。

「見ました?」

「え?」

 

「あのひと」

 

「・・・・・・?」

「あの、部屋にあったでしょう?」

どうやら金魚のことを言っているらしい。

「見ました。すいません」

「あの子は金魚が好きなんです。なついてて」

今考えても不思議だけれど、その場では、金魚が父親の役目を果たしているのかもしれない、と思った。

母親はどうやら息子の奇行を心配しているようだった。

夕飯をいただいた後、お茶を飲みながらぼうっとしていると、母親は別れてしまった夫の話をした。

話し振りをみると、彼女はまだ夫を愛しているらしかった。

何も言ってほしくなさそうに見えたので(自分に納得させるように喋っていたので)ほとんど黙って、その話を聞く。

しばらくすると彼女は溜まっていた食器を洗い始めた。流し台に向かったまま、今度は子供の話を振ってきた。

「あの子、どう思いました?一緒にいて」

「しっかりしてましたよ」

どう答えるか迷ったが、思ったことをそのまま言った。

「父親がいないから、そうなってしまうのかしら」

そんなことはない、と言って欲しいように聞こえたし、

父親がいないのは子供が奇行を繰り返す原因のほんの一部に過ぎないと思ったので、「あまり関係ないと思います」と答える。

私がしっかりしないといけない。

母親は自分に言い聞かせるように力を込めて皿を洗っていた。

洗剤のキツイ香り。

じゃあじゃあ。水道水がやけに激しく流れている。

 

あのひと。あのひと。あのひと・・・・・・。

おそらくあの金魚には何かある。きっと話したくないことなのだろう。

でも哀しい話ではないような気がする。

 

 

−備考−

 

・母親があまりにも疲れきっていたので、子供に目が届かなかったのが或意味仕方ないように思えた。

・人(?)がよさそうな金魚に見えた。金魚に対して負の感情が湧かなかった。

・子供の寝顔が気持ちよさそうだった。

・純和風の一戸建て。家具が異常に少なく、部屋が殺風景だった。

−湖の中で− /4年くらい前/


自宅でストリップを見ている。周りには数人の友人がいる。

ブロンドのいかにもコールガール、といういでたちの白人女性だった。

友人が出張サービスの風俗嬢を呼んで来て、金を渡してストリップをしてくれないか、と頼んだらしい。

簡単にやってくれるんだな、と思いつつ、コンビニで買ってきた缶ビールを飲み、つまみを食べながら、黙々と見ている。

まったく興奮しなかった。それなりに周りが盛り上がっていたので、いいか、と思う。

ベランダに出てタバコを吸う。外は霧がかかっていた。

 

シーンが切りかわって、広大な湖のほとりにいる。湖には当時付き合っていた彼女と2人で来ていた。

どうしても泳ぎたくなったので、シャツを脱いで湖に飛び込む。

水面は恐ろしく透き通っていて、下まではっきり見える。底はかなり深い。50メートル近く。

底にはギリシャの神殿に見られるような、ゴシック調の柱の残骸が転がっていた。

ずっと遠くまで行くと、霧に囲まれて、どちらが岸か分からなくなる。

「どこー?」

と彼女が叫んだので、返事をしたけれど、彼女には聞こえていない。

さすがにこのままでは危ない。帰ろうと思ったが、その前に一度行けるところまで下に潜ってみることにした。

息を吸い込んで、湖の底に向かって泳ぐ。晴れた日の街の景色を眺めているのと変わらない透明度。

底に砂はなかった。代わりに様々な色の幾千ものレンガが敷き詰められていた。

レンガは隣り合ってぴっちりと規則正しく並べられ、全体で初老の白人男性の肖像画を形づくっていた。

誰なんだろう?と思ったけれど、誰だか分からない。

それから誰がどんな目的なこれで作ったのか、と思い、途端に怖くなる。

水面から頭を出すと、どこもかしこも霧だらけ。どちらが岸なのか全く分からない。

「どこ!?」

「今から、そっち、泳いでくから!」

 

シーンが切り替わって、手術台に乗せられている。おぼれてしまった、らしい。

身体に収められた水分がいつもより多いように感じた。

内臓のあちこちが水っぽく、液体と一体化しているような感覚を受ける。

 

手術室は非合法の場所だった。やけに汚くもう何年も使っていないような印象を受けた。

医師の1人が手袋をはめた指で俺の目を開きペンライトで照らす。景色が真っ白になる。けれど、まぶしくない。

光が当たるイメージが自分の中に焼きつくだけ。

たぶん、こいつらは真面目に手術をする気がない。

その通り、彼らは自分をほっぽらかして、どこかへ行ってしまう。

 

誰もいない。身体が動かない。起き上がることさえできない。まだ水っぽい感覚が残っている。

目を開くことができたが、焦点が定まらない。見えるもの全てがぼうっとふやけている。

 

ぼやけていた景色が、だんだん鮮明になり広がっていく。フィルターを通したように景色が赤い。血の色だ。

天井にはたくさんの新聞紙がはりつけられている。

切り抜かれた大小様々の文字を組み合わせて(まるで犯行声明文のように)、2つ3つ、何かが書かれていた。

 

・あなた!

・○○(←思い出せない)小学校で児童28名が

・帰らない

 

など。意味が分からない。

ひょっとしたら自分は既に死んでしまったのかもしれない。

これからどこに行くのか分からない。たぶん、ずっとここには留まれない気がする。

しかたがない、と思うことにした。

泳いだのも自分だし、溺れたのも自分だ。

しかたがない。

一度諦めると、あとはただ時間だけ流れる。

 

−備考−

 

・老人の顔をどこかで見たような気がする。(本か何かで)

・手術をほっぽらかした医者にかなり腹がたった。

・諦めが早すぎるような。

・あなた!は映画「カルネ」のワンシーンを記憶していたのかも。

−動物園− /1年前/


動物園の檻の中で、象を撫でている。撫でながら、桶に入った草と果物を黙々と与えている。

 

この象は老い先短く、もうすぐ死に絶える。死んだ後は焼却場で焼かれ、骨になる。

明日、明後日?

それほど早くはないが、少なくとも一ヶ月と持たないだろう。それが獣医の診断だった。

 

象は老婆のように微笑みながら、鼻で干草を巻きつけ、口へ運ぶ。

ピンク色の口内。束ねられた草の固まりを、噛み砕き、咀嚼し、反芻する。

やたら美味そうに食う象だ。

 

糞の掃除をしなければいけないのだが、やる気が起こらず、その場に足を投げ出して座る。

やがて象も足を折り、鼻を伸ばして、床に伏してしまった。

 

象の糞が部屋のあちこちで蟻塚のように盛られている。土と草の匂いが混じった悪臭。

檻はどこまでも大きかった。柱は女の腕よりも太く、ところどころ錆びているものの壊れそうにない。

壊したい、と思ったが、無理だ、と考え直した。

 

突然、象の糞に囲まれて寝るのも悪くないな、と思った。

考えてみれば、それほど我慢できない悪臭ではなかった。

子供の頃、学校でしたくもないアヒルの世話をしたことを思い出した。

それよりもマシな匂いだった。最も耐えられないのは、人間の糞便。

人間の糞便10kgと象の糞便100kgを掃除しろ、と言われれば迷わず象の糞便を掃除する。

そんなバカなことを考えていると、象が鼻をずりずりとひきずって、こちらへ寄せてきた。

餌が欲しいのか、と思い、干草をあてがったが、どうやら違うらしい。何をして欲しいのか分からない。

 

戸惑っていると、象はおそろしく低い声で鳴いた。地底でうなる悪魔のような声だった。

思わず両手で耳を塞いだ。地鳴りだ。桶が震え、周りに散らばった草が吹き飛んでゆく。

怖がっているのかもしれない。

汚れた左手で片方の耳を押さえたまま、ゆっくり右手を近づけ、鼻を撫でてやる。

そうすると、象の充血した眼から涙が湧き出すようにこぼれた。

涙はちょろちょろとひび割れた皮膚の上を流れ、コンクリートの床を濡らした。

どうして泣いているのか分からなかった。落ち着かせる方法が分からない。

仕方なく鼻を撫でつづけていると、安心したのか、象は叫ぶのを止めた。

そして瞼がゆっくりと下りて行った。朝まで二度と開きそうになかった。

 

眠りに入った象を傍らにして、檻の中から空を眺めると、三日月がいつもより輝いているように見えた。

ふと、この動物園に他の動物がいないことを思い出す。

不況で客が入らず閉園に追い込まれたのだ。

見世物として価値がある動物はトラックで他の動物園へ運ばれていった。

それ以外の引き取り手がない動物達・・・・・・、例えばこの象のような老いた動物達は、殺されたか、ここに残された。

長く面倒を見ていた者がそれを望んだ。

残っていた餌で賄える分の動物は、せめて死ぬまで面倒をみてやりたい。

ずっと世話してきたのだから、最期をみとってやりたい。

そうやってここに残った動物も寿命でどんどん死に絶えて、この象が残った一匹だった。

 

突然、自分がなぜここにいるのか分からなくなった。

こんなところで何をしているんだろう、と思った。何か他にやるべきことがあったはずなのに。

しかし何をするべきだったのか思い出せない。どうしても。

結局考えても答えが分からないので、諦めることにした。

そして象が死ぬまではずっと世話してやろう、と決心した。

どうせ、象が死ぬよりも大した用事なんてないのだから。

 

 

−備考−

 

・なぜか夜だった。

・少し寒かった。

・色が絵の具で塗ったように鮮明でどぎつかった。

・象にあまり好かれていないような気がした。

−愚痴− /二年前の夏/


原付をパクられる。何故か市役所へ向かう。

市役所の中には大勢の老人がいた。

もう夜中だったとは言え(夜中に市役所が機能しているのだっておかしい)、やけに薄暗かった。

両手を組んでぼうっとしている眼鏡をかけた女性に盗難届けを提出し、原付が盗まれた、と伝える。

彼女はかけていた眼鏡を外し、めんどくさそうな眼で届け出を眺めた。

そして髪をさっと整えて首をかしげ、真正面に座った俺の目を覗きながら色々と質問した。

「なくなったのに気づいたのは何時頃ですか?いつ取られたのかだいたい分かります?」

「たぶん、昨日の夜ですね」

「昨日の夕方まではあったんですね」

「はい、乗ってたので」

「状態はどの程度でしたか?買ったばかりとか、どこか壊れてたりとか」

「それほど経ってません、三ヶ月くらいですね。買いかえたばかりで」

「分かりました」

そのようにして手続きを終えると、彼女は手にした用紙を横に置いてある木箱の中に差込み、小さくため息をついた。

「探すように言っておきますが、おそらく見つからないと思います」

「10%くらい?」

「さあ・・・・・・」

その時、彼女が笑ったような気がした。こんなことを聞くから盗まれたのね、という笑いだ。

「ほとんど見つからないと思います。だから、あまり期待しないでくださいね」

「はい」

終わったと思い、鞄を手に取った時、彼女が小さな声で囁きかけてきた。

「ねえ、聞いてよ」

「?」

彼女は眉をひそめて机の中から用紙を三枚ほど取り出し、こちらへ押し出した。

「さぼってるのバレるから、これ書いて。いい?」

断る理由もなかったので、その紙に記入しながら彼女の愚痴を聞いた。

割に合わない、公務員なのに残業が多い、上司がむかつく。不満の大半は上司に関することだ。

要約すると、頭が悪くて、傲慢で、だらしがなく、部下に厳しく、責任をなすりつける。

「ひどいね」

彼女の話が真実とするなら、確かにその上司は最低の男だった。ついでに彼女から渡された用紙の質問も最低だった。

 

−下記の質問に○か×かで答えてください−

 

問1 林檎に物足りなさを感じますか?    (   )

問2 一時停止したことがありますか?    (   )

 

適当に記入する。その間にも彼女の愚痴は延々と続いた。よく叱りに来ないな、と思った。

「ここでねえ、働くのって腐っていくようなもんよ。それで毎日毎日来るのはおじいちゃん、おばあちゃん」

「あー、友達は結婚して辞めちゃったのに、こっちは出会いがない」

「友達って同じ職場の人?」

「そうよ。かわいくて性格いいからね、すぐ相手見つけてドロンした」

「ドロン?」

「ドロンって言わない?」

「たまに言う」

「でさ、休日はビデオ借りて1人で見てるの。富山から出てきたばかりだから友達もそんなにいなくて」

「何見たの?映画割と見る方だけど」

「えーとねー、この前見たのは、普通じゃない」

「あれなんとなく笑った。ハートがビュンビュン言ってるシーン」

「えー、あれ笑うとこ?」

「ていうか、ユアン・マクレガー好きっぽいね」

「そうそう。ああいうの好き」

そんな話が延々と続いた。よく喋る女だな、と思った。

記入しながら喋っているので、どうも会話に集中できない。まあいいか、と思う。

いいかげん同道めぐりして、話がまた上司の悪口に戻る。

「最悪、ホント、あいつ、ぶん殴ってやりたい」

「辞めちゃえば」

「簡単に言わないでよ」

「殴って辞める」

冗談のつもりで言ったのだが、彼女はどうやらそうは思わなかったらしい。

伏目がちになり、押し黙ったまま下を向いて何やら考え出した。マズイ、と思った。

「ご飯食べた?」

「食ってないけど」

それだけ聞くと、彼女は椅子から勢いよく立ち上がり、つかつかと後ろに歩いていった。

完全にプッツン来てる。早足でみるみるカウンターの奥の方へと歩いて行く。嫌な予感がした。

目標は一番奥の大きな机、椅子に座ったまま背の高い男と喋っている中年の男――、たぶんあいつが上司だ。

背広はよれて、ネクタイは曲がり、頭はどうしようもないくらい禿げている。

立っている男を嫌らしい目つきで嬲っていた。ステレオタイプな印象だが、部下の下らないミスをつついているようにしか見えなかった。

 

彼女は彼のまん前に立ち、頬をもの凄い勢いで一発はたいた。

 

バチッ。

 

キーボードを叩く小気味良い音や、積み重なった用紙が擦れ合う音が一瞬にして消え失せ、部屋全体に張り詰めた静寂が降りてきた。

「辞めます」

彼女は制服を着たまま、横の出口を通ってこちら側に出てきた。

「入り口で待ってるから、早く来て」

上司は頬を押さえたまま唖然とし、部下は見て見ぬ振りをして作業を再開した。

うわ、本当に嫌われてるよ。彼女の上司に少し同情した。

急ぎ足でその場を離れた。歩きながらポケットをまさぐり、車のキーを探しているところで目が覚めた。

 

 

−備考−

 

・会ったこともない女性だった。

・眉毛をしっかりかき過ぎているので、キツイ顔立ちだった。

・景色が全体的に青みがかっていた。

・なぜ警察署に行かず、市役所に行ったのか分からない。

・上司は最悪だった。

某日


夜、東京から帰ってきた友人(T)とドライブがてら山へ。
無人のロープウェイ駅で、車を止め雑談。Tがしょんべん行ってる間に、Sに電話。
彼女も最近別れたばかりで、当然話が合う。

K「……え?どうしたの?(眠そうな声)」
俺「ごめん、寝てた?」
K「ううん……いいよ。今日さブチッ……。ツー…ツー…」

携帯の電波が切れた。実はここ心霊スポット。山奥。ちょっと無気味。
再びTがしょんべんに行く。Tの放尿を見ながら、静かに車のエンジンをかけ、撤収しかけてみる。
T、焦って皮を挟む。

朝6時に帰ってきて就寝。夢を見る。
俺の横にラッキー(トラッキーの彼女)が姿勢良く寝ている。
ラッキーの被り物をしているので、顔は見えない。
目は開いたまま。気持ち悪い。中に誰が入っているのだろう?
と思ったけれど、気持ちよさそうに眠っているので、中身を調べるのはやめておいた。
いや、本当に中身なんてあるのか?どうやら俺はラッキーと結婚しているようだ。
ラッキーがごろごろ、布団を引っ張りながら動き出した。右へ、左へ。
抱きつかれる。身体は女だ。しかし顔は虎だ。マスコット特有の何とも言えない匂いがする。

ガシャン。ガラスの砕ける音。

トラッキーだ。ちくしょう、トラッキーが来た!と俺は思った。
居間に転がり出ると割れた窓ガラスの上にトラッキーがいた。仁王……立ち……。
自分で喋れないのか、トラッキーは右手に持っていたカセットレコーダーの再生ボタンを押した。


コ〜〜ロ〜〜ス〜〜ゾ〜〜


俺「いや、もう結婚してるから」

マキモドシ。再生。


コ〜〜ロ〜〜ス〜〜ゾ〜〜


俺「もう諦めろて。しょうがないことやん」


マキモドシ。再生。


コ〜〜ロ〜〜ス〜〜ゾ〜〜


………………。





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