8.All Over With Blood

南端。
近代化の進むセカンドサウスではすでに珍しくなっている緑の中、また浮いた風情のある宮殿。
そこはいくつかあるカインの屋敷の中でも贔屓のものだった。
ホールには巨大な姉メアリーの肖像画が置かれ、教会のような神聖さがある。

その奥に用意されているカインの私室。
だが横柄にソファーへと座るのはカインではなく、ロック・ハワードだった。
カインは執事が持って来た書類に一通り目を通した後、無言でロックの前へと差し出した。
それを乱暴に受け取ったロックもまた無言で紙を眺める。
何度かの紙の擦れる音の後、ロックの口元が笑みに変わった。

「ご満足頂けたかな?」

「上出来だ。最悪、テリーがいれば良いと思ってたけどよ、こいつが良いな」

ロックが指を差して笑う先にはリョウ・サカザキの名前がある。

「……面識でもあるのか?」

「どうかな…… そんな気がするだけさ。
 あぁ、こいつの弟子とテリーの試合は観てたよ。あいつより強いってんなら楽しみじゃねぇか」

そうだな、と気の無い返事を返しながら、カインはロックを観察する。
今のロックがどういう状態にあるのか、未だカインには判別が付いていない。
以前は見られなかった粗暴さ、極めて不安定な精神を見れば今の彼が普通ではないのは解る。
だが、それは決して秦王龍そのものではなく、
ロック・ハワードであると認識出来る範囲の揺れに思えた。

かつて、ギース・ハワードは秦王龍の侵食を生涯に渡って阻み続けたという。
ならば、彼の息子もまた寸でのところで自己を保っているのだろうか。
ならば、王龍の知識はどこへ行く? 秘伝書の力はどこへ行く?
ロックが秦王龍を支配するでもなく、秦王龍の人格が甦るでもなく、
ただ力のみが暴れ出したならば、誰が、どうやって止める。
今のロック・ハワードは暴発寸前の爆弾に見える。

カインは見届けなければならない。
すでに導ける存在ではない。
だが、一縷でもそこに彼の本懐を遂げる希望があるのなら、
例えどんな危険を孕んでいようとも、彼は見届けなければならない。

そんな想いと、約束があった。



Fatal Mayhem KING OF FIGHTERSの開催が封切られても、街は常日頃と変わらないままだった。
街が封鎖されたときと同じだ。その内、元通りになると思っている。
どこかの誰かが元通りにすると思っている。
今、困ることがなければ、それで良いと誰もが思っている。

あるいは、信じていないのか。
本当にこの後、永久に外へ出られないなどと思ってはいないし、
また家を出るだけでKOFという名の暴力に晒されるなどと、誰も信じようとはしない。
ただ漠然と、どこかの誰かがそんな間違いは許さないと思っている。
彼らが恐怖を感じるのは、実際に自分自身が恐怖を知った後になるだろう。
事実を知った後になるだろう。
セカンドサウスはすでに暴力の街になっていると、その身で知った後になるだろう。

何のルールもない大会。
それに、莫大な賞金がかかっている。
どんな手を使ってでも最後に生き残っていれば良い。
華やかなセカンドサウスの街の闇から這い出る狂犬達。
運営と警察が街中に散ってはいるが、それが“KOF”だと認識されれば裁かれることはない。
例え一般人であっても、今、自分の住処から出ることは
何の法もない原始の荒野へ還ることと同義だった。

だが、そんな狂犬達をこそ真っ先に恐怖を知る。
紅い眼をした少年の影は闇の中にあっても尚クッキリと浮かび上がり、
笑い声さえ上げながら狂犬達を駆逐して行く。
数は何の暴力にもならない。
すでにスクラップとなっている車の上にまた動かない人間が転がる。
悪魔だ、と誰かが呟いて消えた。

「クズがワラワラつるみやがって!
 てめぇらみてぇな、汚ぇ面舐め合う連中の舞台じゃねぇんだよ!」

夜。

「おやおや、いけねぇなぁ。そういうルールだって聞いてたんだがな?」

整備された道路に血が撒かれ、それを踏み抜いて二人の男が再び対峙する。
金色の髪を斜めに揺らせ、対象を睨む男と、背を屈めてゆっくりと歩く長身の男。
まだ美しい街灯に照らされた姿はロック・ハワードと、山崎竜二。
山崎はニタニタと笑みを浮かべながら、厚手のコートを肩で揺らし距離を詰めて行く。
ロックは山崎を睨み付けたまま、口元だけを歪ませた。

「ゴミを掻き集めんのはお手の物ってか? ついでに俺の靴でも磨いてくれよ」

「言うようになったじゃねぇか、お坊ちゃんがよ!」

肩でコートを脱ぎ捨て、山崎の蛇使いが飛んだ。
だが、すでに頭上にロック・ハワードの紅い瞳が浮いている。驚きを上げる間もない。
打ち下ろされた拳は山崎の顔を顎から変形させた。
悲鳴さえ潰れる衝撃。
なのにあって、山崎の左手はすでに匕首を引き抜いていた。
再びガチリと鳴る今度は金属の衝撃。
狙ったのは首。
だが、挑発的に歪んだまま動くロックの歯元には、刃渡り20cmの匕首が挟まれていた。
引き抜こうとするが引き抜けない。
ますます笑みを浮かべるロックの眼に殺気が灯ると、山崎はついに手を離すしかなかった。

「さすがお坊ちゃん…… 良いモン食ってんだろうな」

顎を右手の甲でさすりながら言う山崎に余裕は感じられない。
逆に、ゾワリと全身が総毛立つ感覚があった。

「アンタの喝が効いたんだろうぜ」

闇はさらに更けて行く。
史上最も暴力的なKOFが、荒々しくその咆哮を上げた。



テリーが徘徊する夜のセカンドサウスは驚くほど静かだった。
警官や黒服がしばしば目に止まるだけで、対戦相手と出会う気配はない。
実際、出会ったにしても、それは“対戦相手”とはなり得ないのだ。
現実として、未だ健在なサウスタウンヒーローと
初日からやり合う馬鹿とはそうそう出会えるものではない。

だが、テリーの足の運びには常に緊張感が漂っていた。
見張られているのが解る。警官達にではない。
もっと大袈裟なモノが、隠れているのか、隠すつもりはないのか、
高い所から自分を観察しているのが明白に解っていた。

――意図が解んねぇんだよな……

相当な使い手だというのは伝わって来るというのに、
闘う気は見せず、監視するにしても気配を隠す様子もない。
テリーは男が背の低いビルの屋上へ移ったのを確認すると、
ゆっくりと階段からその男の足を追った。

「よぅ、アンタ。俺の対戦相手に立候補かい?」

「逆に聞こう。今のお前にその価値があるのか?」

まだまだ冷たい風の吹き抜けるビルの頂上。
男は背を向けたままテリーへと問い返した。どうやら東洋人らしい。
テリーはやれやれと頭を掻き、逆にまた男へと聞き返した。

「じゃあ何で俺をつけてんだ? 言わねぇでも解ると思うが、最初から丸判りだったぜ」

「そのつもりだったからな」

ますます意味が解らないと、テリーが再び手を髪にやる。
すると男は振り返って薄笑みを浮かべた。月の光が男を照らす。
年の頃は50前後か。現れた瞳は大きな傷と共に閉じられていた。

「アンタ、眼が……」

「餌になってやろうと言うのだ。お前と闘うべき男を引き合わせてやろう」

ふぅ、とテリーは息をつく。

「大きなお世話だよ」

「……だろうな、俺も丁度その気が失せて来たところだ。
 八極聖拳正統伝承者が聞いて呆れる」

「ずいぶんと物知りみたいだな。
 だがそいつはもう崇雷に譲っちまったよ」

「たいした価値はない、ということか?」

「俺には重すぎただけさ」

「なるほど。俺は牙刀と言う。お前の兄弟子だ」

言って男は意地悪く口元を歪める。

「兄? タン先生の弟子に生き残りがいたとは聞いてないぜ?
 それに俺の知ってる牙刀はもう少し若かった」

「ふっ、“牙刀”は当家の裏の名よ。
 不肖の倅が名乗るには本来10年早いが、まぁそれは良い。
 俺がタン老師の弟子だったのはまだ若造の頃」

「だろうな」

「まぁ聞け。名声に惹かれ門下に下ったは良いが、
 奴の拳法は他の中国拳法と何ら変わらぬ価値のないものだった。
 だが、俺は見切りを誤ったのだな。タンの首を取ろうとして秦の気功の怒りに触れた。
 以来、俺の世界は暗黒よ」

再び月に照らされ、闇に傷が浮かび上がる。

「だが、強さへの探究はさらに湧き上がった。俺は秦の気功を研究した。
 八極聖拳、ギース・ハワード。当然、お前もだ、テリー・ボガード!」

牙刀が地を掌で打つ。
テリーの脇を奔った閃光は紛れもなく八極聖拳の気功。

「どうだ? 邪拳と謗るか? テリー・ボガード。
 言わば俺の拳は暗黒八極聖拳。眩い強者を喰らうはすでに俺の営みよ。
 最後の強者を喰らって八極神拳を名乗るつもりでいたのだがな」

「それが俺じゃねぇってんで仕掛けなかったってのか?」

「そういうことだ。俺が待っているのはお前を潰す男。
 だがどうやらその意味はないらしい。かがり火を握る男に何の価値があろうか。
 やはり俺が求めるのは新しい息吹らしい」

「俺も賛成だ。これからはもっと若い奴等が頑張ってくれないとな」

「なるほど、故にお前はかがり火なのか。それを喰おうという気にはならんようだ」

牙刀はすれ違い、ビルの階段を下ろうとする。

「もうKOFは降りるのか?」

「――お前がそれではもう餓狼の街とは呼べん。
 埋み火の様子でも見て来るとしよう」

テリーは去る男の背へ振り返ろうとはしない。
そのまま前に歩を進め、風を浴びながら黙って街を眺めた。



生々しい刺激ばかりが耳を打つ。
これは格闘大会ではないと、まだ動ける者から我先にと逃げ出した。
刺激は一方向ばかりから響く。
肉がへしゃげる音と、喉の奥が鳴る聞いたこともないような不快な音。
ロック・ハワードが動きを見せる度、山崎竜二は彼らの耳朶を打った。

「汚ぇサンドバッグだ」

うつ伏せに倒れる山崎の頭を踏み、ロックが歪んだ笑みのまま言う。
そして、尚、足を掴んで立ち上がろうとする山崎の顔面を躊躇なく蹴り飛ばした。

「ハァ…… ハァ…… ハァ…… ハァ……」

山崎の口からは荒い呼吸音しか漏れない。
碌に構えも取らず、ロックが歩いて接近して来る。

「シヤァァァァ!!」

山崎が取った行動は渾身の蛇使いだった。
それがまともに当たったというのに、皮膚で止まる感触しかしない。
間違いがある。ロックの華奢な身体に磨き抜いた拳が刺さらないのだ。
疲労から片膝を突いた山崎が見上げた少年の姿は、
街頭に照らされて肥大化した影よりもさらに巨大。それが、近づいて来る。

――冗談じゃねぇ……

左手を眺め、歯軋りした。
こんな子供に、恐怖するなどと。
ギース・ハワードと同じモノを感じてしまうなどと。

――良いぜ…… 認めてやろうじゃねぇか、ギースのガキよ……
――認めてやっからよ…… この場で……

「―――死ィィねやァァアアアアァァ――――ッ!!」

すでに空気となっている声を裏返らせ、身体が捻じ切れんばかりに振り被って山崎が飛んだ。
背に隠れるまでに引き抜かれた左手の血管が唸る。
それはそのままロックの首へと振り下ろされた。
すでに人間の持つ腕ではない。ヒトの首程度、簡単に握り潰す、獣のそれだ。

なのに、肘が刺さった。
左手は獲物の首に届いている。一瞬速かったはずだ。

「ぬ…… がぁ……」

にも関わらず、山崎の意識のみが飛んだ。

「復讐ってのは良いな。部屋が綺麗になった気がするぜ」

ロックは右手の指で頭を指しながら、前のめりに崩れる山崎の首を左手で締め上げる。

「でもすぐにまた汚れちまうんだよな……!」

そして顔面へと頭を打ち付けた。
無意識の呻きと、潰れた鼻から漏れる空気の音を聞きながら、腕に力を伝わせて行く。
口の両端が同じ力の糸で吊ったように規則正しく吊り上がっていった。
二発。三発。
それを止めたのは、視界に入れるのも腹立たしい二人の存在。
余裕とも取れた笑みは消え失せ、不快感のみがロックの血管を走る。

「ロック・ハワード、何も殺すことはないでしょう」

「――てめぇら……」

「その男に助けるほどの義理があるわけではないが、
 目の前で死なれると少々気に病む程度の縁はある」

まだ少年の顔を残す赤い中華服の青年と、
同じ服を着るも、それより頭ひとつ背の高い精悍な青い青年。
互いに風味の違う鋭さを持つ眼だが、それが睨む先は同じだった。
そして、認識も。

「カインの野郎も結構ズボラだな。この出来損ない共は要らねぇって言ったのによ」

あれは“敵”だと、秦崇雷、秦崇秀の兄弟は合わせ鏡のように同じ構えを取った。


【9】

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