10.Do you do?

セカンドサウスの最北には山篭りすら可能な森林がまだ僅かに残されている。
実際、前回の大会で彼の弟子は本能的にかそこへ篭もっていたわけだが、
師匠のリョウ・サカザキはもう少し人の匂いに近い、南に下った田舎景色の中に居た。
早朝、AM3:00。時間が時間だからか、住宅街はひっそりとしている。
リョウは公園の大きな木に背を預け、あぐらを掻いて仮眠を取っていた。
平和な風景だが、ここがセカンドサウスである以上、KOFの舞台に他ならない。

「アイツ、極限流の……? 本物か?」

野心を持つ男達は群れ集う。

「Mr.KARATEも招待されたって聞いたぜ」

「でももうとっくの昔に引退したポンコツだろ?」

ならば、やれるんじゃないのか……?
男達はそれぞれ武器を手にリョウを取り囲む。
素手である必要などまるでない大会。刃物を手にした男も一人二人ではない。
Mr.KARATEを倒せば巨大な箔が付く。
眠ったままのリョウへ鉄パイプを持った男の一撃が振り下ろされた。

「オアアアアアァァ!」

首筋を狙った一振り。それが突き刺さったにも関わらず、
リョウ・サカザキはあぐらを掻いたまま動かない。そう、微動だにしなかった。
男は手の痺れに顔を顰め、鉄パイプが地面に落ちた。周囲がザワめく。

「今、何時だ? もう少しやさしく起こしてくれよ」

二代目Mr.KARATEと呼ばれる男が、ゆっくりと目を開いた。
男達が二歩、三歩と下がって行く。

「お、おおお……」

さらにゆっくりと立ち上がる黒い道着の日系人のなんと巨大なことか。
身長の数倍は裕に超えるスケールは男達に声を失わせるには充分だった。
そんな中、クスリを浴びた男が奇声を上げた。

「死ィィィィねァァァ!!」

数の優位と、手に持ったナイフが彼に判断を誤らせたのか。
刃が獲物だったはずの男に届く前に、頬には厚い拳骨が突き刺さっていた。
潰れた声を吐き、再び武器だったはずの物が無力に地面に転がる。

見渡す限り、ザッと十人は集まっている。
首をゴキリと回し、動きを失った男達へ向けてリョウが構えを取った。

「今のが試合開始の合図じゃないのか?」

どこかのんびりとした野太い声が早朝の公園に響いた。
元々血の気の多い男達だ。ここまでナメられて逃げる道はない。
相手は一人だ。各々武器も携えている。一人ずつ行ったからやられたまで。
KOFに勝ち残れば莫大な賞金が手に入るのだ。
ルールがないのなら武術の腕など無意味に等しい。
まして相手はすでに引退した50の男。無敵の龍の伝説など眉唾だ。

「全員でやるぞ!」 「一気に抑えろ!」 「ビビるこたぁねぇ! 相手はジジイだ!」

怒号が鳴り響いた。

「何だ、結局やるのか」

男達は取り囲んだ輪を狭め、猛然とリョウへ襲い掛かった。
鈍器、刃物が次々と降り注ぐ。だがそのことごとくがリョウへ届く前に、太い腕に弾かれて消えた。
同時に、寸分の狂いもなく男達の意識を刈り取る打拳が打ち込まれる。
一人、二人とその場に崩れ落ち、痙攣するこの場限りの仲間達の姿を見て萎縮しない者はいない。
リョウの眼光こそが刃のように鋭く、その威圧感はまさに達人のそれだった。

「あ、あああ……」

数刻と経たずに男達は理解した。
この男には、例え何人仲間を集めようと敵うはずがない。

「そう心配するな。後遺症は残さない打ち方をしてある。
 極限流にはそういう打ち方もあってな」

あるいは恐怖が曲がりなりにも格闘大会であるKOFのタガを外したのか、
後方の男の手には銃が握られていた。

「――っと、つい道場での癖が出ちまった。俺の講釈なんてつまんねぇよな」

リョウがギロリと眼を向けたのは男の先――
銃を持った手を捻り上げるジーンズの男の姿だった。

「いいや、充分ためになったよ。どうも俺は手加減が苦手なんでな」

「テリー……」 「テリー・ボガードだ……!」

男達が騒然とする。
無敵の龍に加え、伝説の狼。

「うわあああああ!!」

男達は悲鳴さえ上げながら誰からともなく散開する。
公園に早朝らしい静けさが戻るのは早かった。

「まるっきり化け物扱いだな……」

苦笑し、頭を掻くテリーに対し、リョウは懐かしそうな微笑みを浮かべた。

「待ち人来る、か。三日も待ってたかいがあったよ、テリー・ボガード。
 あんたに会うのはこれで三度目かな?」

「ん―― 悪いな。俺はあんたのことは話にしか聞いたことがないぜ」

「いやいや、俺が一方的に眺めてただけだからな。
 ただのファンってヤツさ。こうして話せて嬉しいよ」

「弟子の、マルコ・ロドリゲス…… 俺を呼んだのはあいつの仇討ちかい?」

「ん? なるほど。そうだな、そう取られても仕方ないよな、はっはっはっ」

リョウは屈託なく、子供のように笑った。
それを見て当然、首を傾げはするが、テリーを包んでいた若干の緊張も薄れる。

「いや、悪い悪い。そこまで考えが回らなかったよ。
 俺としてはただ、あの時の後悔を断ちたかっただけなんだけどな」

だが、呼吸を整え、全身に“気”を入れたリョウを受け、再びテリーに緊張が走った。
その度合いは先ほどの比ではない。

「……どういうことだい?」

「あの時、お前がギースを倒す前に、俺がやっちまった方が良かったかなってな」

テリーの眼にも“気”が灯る。
吹き抜けて行く風は季節にそぐわない生温さがあった。

「あんたが、ギースと……?」

「三度闘ったよ。お前がギースと出会う前に二度、ギースが死ぬ前に一度だ」

テリーの表情が凍りついた。

「手加減は苦手だって言ったよな。
 前のKOF、あれで全力だってんなら、やっぱり俺は後悔することになる」

「――じゃあ、試してみるかい?」

テリーが腰を落とし、ファイティングポーズを取った。
それに応え、すでに微笑を消したリョウも拳を軽く握って構えた。

「オラオラァ!」

リョウの挑発が戦闘開始の合図だった。

「オオオオオォ!」

テリーが地を駆け、“気”の伝わった拳をストレートに振り抜く。
激突した先にはリョウの顔面ではなく、分厚い掌があった。
リョウが拳を握り潰すように握ると湯気が立ち昇る。熱した鉄を押し付けられているに等しい。
だが、リョウは表情ひとつ変えずにその拳を押し返し、逆に上段回し蹴りを放った。
今度はその脚打を受けたテリーの左腕から空気の破裂するような音がした。
ガードしたはずの腕の痺れにテリーが表情を歪める。

バックステップしたテリーを逃さず、リョウが踏み込んだ。
左の中段突きがテリーの防御をすり抜けるようにして腹へと刺さる。

「うぐっ!」

動きの止まったその一瞬は、達人同士の闘いにおいては致命的な隙だった。

「ツェア!」

続く拳を縦にしたリョウの正拳突きがテリーの顎付近を捉えたのは息を飲む間もない直後だった。
二、三歩下がり、膝を突く。
吹き飛ぶような衝撃ではなく、全身に響いて残るあまりにも重い一撃だった。
すでにリョウは次の一撃を構えている。
極限流の真髄、“気”の圧縮された右掌が黄金に輝いていた。

「虎煌拳!」

今度は吹き飛ぶ。受けを知らなければ絶命していたであろう一撃。
再び膝を突いて起き上がろうとするも、受け切ったとはとても言えない。

「この程度の気功、ギースには通用しなかったぞ」

リョウは尚、表情を変えず、冷淡にそう言った。

「……ギースには、勝ったのか? あんたは……」

「今の俺と、お前が闘ったギース、どちらが強かったか、それも感じ取れないか?」

神経を刺激する、リョウの挑発的な物言い。
テリーの足を奮い立たせたのは若干の怒りだったかも知れない。

「ファッ!」

肘を突き立て、テリーが力任せに突進した。
冷静に見れば自分よりも10kg以上も軽いであろう男だ。
全力で突進して潰せないはずがない。
腕を交差させ、肘を受け止められた次は相手の腕を利用した。
リョウの腕に腕を引っ掛けての、遠心力を利用した左フック。
これが刺さり、リョウが半歩後退るとそこに全力でのタックルを浴びせた。

「Charging!!」

だが、それでもリョウのガードを崩せない。
体勢を崩した所へ逆に追上蹴りを浴びせられ、受け止めるも崩れたのはやはり自分の方だった。
再びステップで間合いを取り、いつの間にか流れて来たこめかみの血を拭う。
同じように口元の血を拭ったリョウにはしかし、自分とは違う威厳のようなものが感じられた。

「なぜ下がる? テリー・ボガード」

言われて気付く。
かつての自分は、闘いの最中、こうも下がったことがあっただろうか?

「あんた幾つだっけ……? 俺より随分、上に見えるが……」

「今年で50になるな」

「たいしたもんだよ。若い頃はもっと強かったんだろ?
 ギースに勝ったってのも頷ける」

「本当にそう思うか?」

リョウの表情には微かな怒りが灯っているように見えた。

「俺は確かに今年で50になるが、衰えたなんて微塵も思っちゃいない。
 体力は落ちたかも知れないが、その分、技が増した。
 若い頃には見えなかった物が、まだぼんやりとだが見えるようになった」

「……そうか、俺は、ただ歳を食っただけだな」

テリーが苦笑しながら言うその言葉はリョウには軽薄にさえ思え、
感情を飲み込むように目を閉じさせた。

「――やっぱりあの時、倒しておくべきだったのかもな」

記憶に思いを馳せ、遠く言うリョウの視線はしかし、
再び見開かれた鋭い眼と共にすぐに向き直った。

「ギースをじゃないぜ。お前をだ、テリー」

「過大評価しすぎだぜ…… それに、昔の話だろ」

「そうだな、昔のお前はまさに狼だったよ。
 餓狼のようにギラギラした眼で、ただ一点を見据えていた。
 羨ましいとさえ思ったよ」

「今の俺にはない」

「あの時の俺にもなかった。だからあいつの幕を引くのはお前だと思った。
 だがそれは間違いだった。ギースもあの世でガッカリしているだろう」

「……簡単に引導を渡されるつもりはないぜ!?」

三度テリーが駆けた。すでに感覚の鈍い足を叱咤し、左足を踏み込む。
そして巨木をも蹴り倒す全力のミドルキックをリョウに浴びせた。
リョウは僅かに腰を屈めただけの構えでこの蹴りを止める。
予想外に刻めないダメージにテリーは歯軋りした。
だが下がらない。それはすでに意地だった。
リョウは構えを取り直し、それを捌く。時折、拳を打ちながらテリーを完全に制していた。

「思うに、お前さんは一人で走ってる分にはただの腕自慢なんだな」

激しいラッシュを受けながらも呟くリョウには余裕が、
それを耳に聞いたテリーには悔しさが滲む。同時に息が上がるのを感じた。

「いつか喰いつこうと、誰かの背を追っているからこその餓狼。
 だがその背は自分自身が十年も前に追い抜いちまった。
 そして困ったことに、そいつをまだ後悔してやがる」

「!?」

すでに力のない拳をリョウの掌が止めた。
その衝撃以上に、言葉が耳の奥へと痛みを与える。

「自分が衰えたと偽ったところでどうなるものでもなし、
 まして償いになんて考えてるなら勘違いも甚だしいぜ?
 ただお前の成長を、それから何より、弟子の成長を止めるだけだ」

「――!」

反対の拳も打ち付けるが同じように掌で止まった。

「気付けよ、テリー・ボガード。
 もうお前にギースの背中は見えちゃいねぇはずだ。
 それだけじゃねぇ。お前の隣にゃ、お前の背を追う狼がもう育ってるじゃねぇか」

言って、覗き込むようにテリーを見入るリョウの眼には、どこかやさしさが浮かんでいた。
いつの間に入っていたのか、リョウの道着は節々が破損し、血で出来た線が幾つも走っていた。

「だからこそ、負けちゃあいけねぇんだ、テリー!」

リョウの手刀がテリーの肩を打った。
よろめく間もなく、至近距離からの膝が顎を打ち上げようとする。
かろうじて防ぐも続く当て蹴りには弾け飛ぶに充分な威力があった。
強制的に間合いを離される。両腕を交差して“気”を充実するリョウの迫力は只事ではない。
熱風が吹き荒れ、枯れ枝は根元から砕け、竜巻のように舞った。

「覇王至高拳!」

解き放たれたのはとてつもなく巨大な弾丸。
いや、すでに砲弾か。
瞬時に呼吸を整え、それを受け止めたテリーもさすがは歴戦だったが、
大の字に倒れた後はもう起き上がる力は残されていなかった。
そこに、リョウがゆっくりと歩いて近寄る。

「まいったな、どうも俺はガキの頃から説教を頂いてばっかりだ」

言うテリーにはどこか吹っ切れた笑顔が覗いていた。

「まだまだ後を譲るのは早いんじゃないのか?ってのを言いたかっただけだ。
 お節介は承知の上さ。
 どうにもお前さんは、まだ燻ってるのが見て取れたからな。
 弟子達に良い思いをさせるのはもう少し先で良い」

「サンキュ。おかげでスッキリしたよ。あんたとやっても次は勝てそうだ」

「それだけ言えれば充分だ。だが、こいつはKOFだ。
 減らず口の利ける相手から勝ち名乗りは受けられないな?」

リョウの右手に“気”が灯った。
それを見て一層笑みを深めたテリーが躱す動作に入る。
すでに描いているのはカウンターの一撃だ。
ダメージは深い。だが、今ならまだもう少し身体が動きそうな気がした。

それを、片腕を押さえた若者の声が止めた。

「テリーさん……!」

「崇秀……」

「やっと見つけました、ロックが……」

言ってボロボロの崇秀が半身のテリーへと倒れ込む。
彼の衣服が赤いのは元々の形状ばかりではない。

「おい、どうした? 大丈夫か、崇秀」

「私は大丈夫です。しかし、ロックが、秘伝書に……」

「ロックが!? 秘伝書がどうした、崇秀!」

「クッ……」

テリーは思わず崇秀の両肩を掴んだ。
苦痛で言葉に詰まるも、続きを紡ごうとする崇秀を止めたのはリョウだった。

「それよりまず病院へ運んだ方が良い。話はそこでも聞ける」

「そんな時間は……!」

「なら行きながら話せば良い。そう遠くはない」

リョウは非難を押し留めて半ば強引に崇秀を背負い、近くに止めてあったバイクに跨った。

「詳しい話は俺が聞いといてやる。お前はロック・ハワードを捜せ。
 俺もすぐに追いつく。多分、それが一番早い」

「リョウ……」

「すみません…… テリーさん、ロックはかつての私達と同じです…… 兄さんも……
 2ndストリートを下ったスラムに…… 充分に気を……」

その言葉にテリーが頷くが早いか、リョウが手早くエンジンを噴かした。

「いいか、坊主、解ってると思うが軽症じゃないぞ。しっかり掴まってろ」

「リョウ、悪いな」

「なぁに、本当は後悔よりも、興味の方が強かったんだ」

「……?」

「いや話は後だな。俺達はもう行く」

「ああ、崇秀を頼む」

力強く頷き、アクセルを捻るリョウの背を短く見送るとテリーは瞳を閉じ、
振り返って南を見据え、走り出す。
今まで感じられなかった嫌な空気が街中に漂っているのを知った。
肌に纏わり付く黒い霧。
もう朝陽も昇ろうかという時間なのに、赤い眼をした月が嘆きの表情を浮かべているのが見える。

――本当だな。老け込んでる場合じゃなかった。

この足の重さは、疲労からではない。


【11】

戻る