「今年のKOFは充実しているな」

デスクに肘を突きながらのダルイ姿勢だが、ギースは上機嫌に言った。

独自のマーシャルアーツを使いこなし、ギース自身も出場し、優勝したことのある
レベルの高い、全米マーシャルアーツ選手権での優勝経験があるダック・キング。
彼はダンサーとしても名前が売れているために人気も高い。

圧倒的なフットワークと、トルネードアッパーと呼ばれる必殺パンチで
次期世界ヘビー級チャンピオンと目されていながら、
当時の現役チャンピオン、アクセル・ホークの引退で自らも試合を放棄し、
今、異種格闘技の世界へ移って来たマイケル・マックス。

ギースが技を奪った大南流合気柔術の最後の使い手で、
周防辰巳のライバルだった男、坂田冬次。

さらに現役世界ムエタイ王者、嵐を呼ぶ男、
ハリケーンアッパーのジョーとの異名を持つ、今大会最注目の日本人、東丈。
これに前回から引き続いてのビリー、ホア・ジャイ、ライデン、リチャード・マイヤが加わる。

スポーツではなく、純粋にケンカが強い男達が揃いも揃った。
第一回大会以来の最強の布陣。
各々の流派でそれぞれ最強を極めた、他の大会では集められようはずもない男達。

「ギース様のお力あっての物です」

ホッパーが言う。
事実、完全にギース・ハワードの物となったこの組織、ハワード・コネクションは、
すでにKOFを中心として表からアメリカ全土にその権勢を振るう一大企業となっていた。
裏の世界を牛耳るのがシュトロハイム家ならば、
まさに表を牛耳るのが今やハワード・コネクションなのである。

ギース・ハワードとヴォルフガング・クラウザーはいつしか勢力を二分し、
何年もの間、ただ睨み合っていた。

だが、

――そろそろ頃合かも知れんな。

私兵の強化、常にこの目的のために開催されるKOFは、
今、その役目を終えようとしていた。


「――ギース様」

スキンヘッドに母国タイの頭飾りを付け、後は紫のトランクスとバンテージだけの男――
ホア・ジャイがギースを呼んだ。

「ジョー・東は是非、俺にやらせてください」

ギロリ、とギースは肘を突いたまま酒臭いホアを睨み付けるように見た。

このホア・ジャイという男は、ジョー・東の前のムエタイ王者である。
必殺の跳び膝蹴りを武器に史上最強のチャンプとして七年間君臨していたホアは、
本国では英雄とさえ呼ばれていた。

だが三年前、若干17才の日本人に、彼の跳び膝蹴りは奪われ、
さらに王者の座までも奪われた。
何もかもを失ったホア・ジャイは荒れ狂った。
なんとしてでも栄光を取り戻す為、元王者の矜持に賭けて、
彼は日夜特訓に明け暮れた。

しかしそれは、狂気に取り付かれての特訓だった。
ジョー・東が奪った跳び膝蹴り、タイガーキックをさらに奪い返した
ホアのドラゴンキックはまさに殺人技であり、リングの上で、何人もの戦士を殺した。
その後もホア・ジャイの狂気は収まらなかった。
彼はリングの上で、何人も何人も殺した。

当然の如く協会から永久追放の処遇を受けた彼は、実質本国をも追われ、
ボロボロになってこの、サウスタウンへと落ち延びて来た。
ただ依存症になるまで酒を浴び、ストリートファイトで鬱憤を晴らす毎日。

やがてKOFの存在を知るとそこでも狂気的なファイトを行った彼はギースの目に止まり、
今ではビリー・カーンと同じく、ギース直属の殺し屋というポジションに居た。


ホア・ジャイが敗れるかも知れない一般参加者と闘うことは好ましいことではなかった。
KOFは常に賭けによってその利益を賄っている。
そしてそれを操作しているのが、他ならぬギース・ハワードなのである。
この八百長によってギースの手に入る利益は激増し、結託している市長の懐も潤う。
KOFでの八百長は、市長の権力を道具として使う役にも立っていた。

――もっとも、ギースの権力が増すにつれて重要性を失いつつある市長は、
すでに用済みの無能者としてギースに侮蔑され、
かつてのマフィア時代とは比較にならないほどに冷遇されているのだが。

“ギースの殺し屋”と言われる私兵は他の参加者達とは1ランク違う実力者だ。
昨年もビリーとライデンという、二人の私兵が最後に勝ち残っている。
今回の賭けも彼らに集中するだろう。
それ故、今回のシナリオでは穴を突き、ホア・ジャイの優勝というシナリオとなっていた。

にも関わらず、ホア・ジャイはジョー・東という強者と闘いたいと言っている。

「――好きにしろ」

ギースは口元を歪ませてそう答えた。

――さて、ハリケーンアッパーのジョーと今の貴様、どちらが強いのかな。

リッパーの目にはギースは純粋に大会を楽しんでいるように見えた。
シュトロハイム家との全面戦争の日が近い事を、ビリーだけが知っている。
全てが終わり、そして始まる予感がある。



キング・オブ・ファイターズ開幕。

イーストアイランドには世界中の猛者達が、
そしてそれを好むサウスタウン中のケンカ好き達が、
血を振り絞って稼いだ日銭を託し、あるいはそのストレスを発散させるために、
熱気と共に集っていた。

毎年、この時期は異様なムードに包まれる。
非難の声もある暴力大会だが、それによる発散で
サウスタウンの犯罪件数が減っているのは統計上確かに数字として出ており、
主がそれを望む望まないに関わらず治安維持にも一役買っていた。

KOFは、下層の人間には日頃の辛い日常を紛らわす薬であり、
チンピラ達には、ギース・ハワードという恐怖を忘れて思う存分暴力に酔える、
血塗られた麻薬でもあった。
そして当然、上流階級には、多額の金を投資出来る、
他に類のない巨大なギャンブルとしてその魅力は絶対的な物となっている。

サウスタウンの全てが動く大会。
サウスタウンになくてはならない大会。

それが、12年前にギース・ハワードが開き、リョウ・サカザキが優勝した、
キング・オブ・ザ・ファイターズの今の姿だった。

ギース・ハワードの開会演説が、サウスタウン中に響く――



最初の歓声はウエスト・サブウェイという地下鉄の入り口で上がった。
坂田冬次にアンディ・ボガードが乱入したのである。

坂田冬次――

大南流合気柔術の最後の使い手にして、
ギースの手により殺害された周防辰巳のライバルだった男。
小柄ながら、かつての周防辰巳との闘いで眼光に焼き付いた恐怖を消し去るために
自らの左眼を抉り出すという、狂気的な野獣性を持つ、常に生死に身を置く男である。
ギース・ハワードと“死合い”をするために、彼はサウスタウンに現れた。

その闘いもまさに殺し合いだった。
銃弾をしても貫くことは困難と言われる鉄扇、鬼丸を操り、
倒れたアンディの首を狙って容赦無くそれを振り下ろす坂田冬次もそうならば、
肘、踵等、骨を直接相手の急所に抉り込むアンディの闘いも、
目を覆う観戦者も現れるほどの凄惨さだった。
隙あらば平気で目に指を突き入れそうな、そんな雰囲気をギャラリーも感じ取っている。

互いに低く構えた。

「粋がるなよ、若造が……」

綿の帽子の陰から輝く坂田冬次の殺気は老人のそれではなかった。
その背に背負った般若の形相が、そのまま坂田冬次の威圧感となっていた。

だが、勝負は一瞬のすれ違いから、見ている観客達にはあっさりと、
といった風に映っただろう、そんな決まり方をした。

激しく左右に身体を飛ばし、残像すら見えるようなスピードで冬次を撹乱したアンディは、
死角の左に高速で回り込むと回転袈裟蹴りを彼の低い後頭部に打ち付け、
呻き声すら上げさせる間もなく下がった頭を掌打で打ち上げ、さらに回し蹴りで飛ばした。

そして今度はハッキリと残像が見えたであろう、
尋常でないスピードで接近しての肘が坂田冬次の眉間へと打ち付けられ、
彼はしばし立ったまま、よろよろと足取りを不確かにすると、そのまま前に倒れ込んだ。

それが、一瞬の出来事。

ウエスト・サブウェイに歓声はない。
ただ怖気を振るう静けさだけが漂っている。

アンディは敢えて、自分より体格が小さく、
そしてスピードで撹乱された場合に苦しいであろう、隻眼の男を選んで乱入したのである。

乱入成立――そんなファンファーレが鳴り響く中、
アンディ・ボガードは鬼気の漲った背をカメラに見せ、そのまま立ち去った。
坂田冬次に付いていた黒服が今度はアンディに付く。

「面白い技を使う奴だな」

開幕戦となった中継を見ていたギースがそんな感想を漏らした。
この男がジェフ・ボガードの息子だとは、まだ判明していない。



「日本人がおったぁ!!」

KOFに便乗して祭りのように物を売り出している商店街、ハッピー・パーク。
そこでジョーは半分以上泣いているような声で、何者かに縋りつかれていた。
ジョーの頭のハチマキは確かにどこからどう見ても日本人だ。

「なんだ、なんだぁ?」

と訝しげな表情をしながらもジョーがどこかだらしなく口元を緩めているのは、
その相手が若い女の子だからである。

シャギーの入ったショートヘア。
太ももから鎖骨の辺りまでタイツに身を包み、
その上からチャックの付いたジャンバーを羽織っている。
そのため一見、下半身はスパッツのようだ。

「良かった…… ほんま良かった……
 何でか知らんけどうちの英語全然通じへんねん…… えーん
 ――って、アンタ、東丈やんか!!」

少女はついに鼻水まで流しながら号泣していたかと思うと、
急に飛び退いて大袈裟なドッキリしたポーズを取った。

「おお! やっぱ俺って有名人!? 嬉しいねぇ。
 そう! この俺様こそ、史上最強の天才ムエタイチャ――」

「吹田のヤンキーキング! 不良伝説、東丈!!」

少女の甲高い声に今度はジョーが大袈裟にズッコケた。

「そっちかよ!! って、そう言えば関西弁も久々に聞いたな。
 ていうか、本当に知らないの? 俺、ムエタイチャンプなんだけど……」

「そんなんテレビでやってへんやん」

そんなやり取りをジョー付きの黒服が呆然と見ている。
まぁええわ、そんな異国の言葉が耳に届いた。

「うちは千堂つぐみ言うんやけど、
 ちょいと事情があってこの大会で優勝せなあかんねん。乱入させてんか?」

今度はジョーの、はぁ!?という声が届いた。

「ダメダメ、俺は女子供とは闘わねぇの。他当たってくれ」

「子供ちゃうで! 17才や! うちのレスリングをナメとったらいてこますぞぉ!」

「子供じゃなくても女じゃねぇか、絶対ダメ」

断固、拒否。
吹田のヤンキーキングとやらも女性には手を上げないらしい。

「そんなん言われてもうちの英語通じへんし、黒服も乱入者やって気付いてくれんし、
 うちどないしたらええねん…… えーん」

「ったく、しゃーねぇなー」

そう言うと、ジョーはついに折れた様子で黒いマントの内側からペンを取り出し、
つぐみに紙を持っているかと聞いた。メモ帳なら持っているらしい。
ちなみにジョーはいつもサインのためにペンを持ち歩いているのである。

ジョーはペンに息を吹きかけると、英語で「乱入させてんか」と書こうとした。
が、それを引き裂くような歓声に、いつの間にか観客に包まれていたことに気付いた。

「あれ?」

顔を上げたジョーの向こうには、グビグビと酒を飲んでいる、身体まで真っ赤にした、
スキンヘッドにモンコンと呼ばれるムエタイのヘッドベルトをした男が居た。
ジョー・東と深い因縁を持つギースの殺し屋、元ムエタイチャンプのホア・ジャイである。
大会常連のホア・ジャイが、ギャラリーを子分のように従えてジョーの前に現れた。

「久しぶりだなぁ、ジョー…… ヘヘヘヘ……」

ジョーはニヤリと笑うと軽く謝ってペンと紙をつぐみへと渡し、
黒いマントを派手に脱ぎ捨てた。
露わになる、引き締まった筋肉と、黄色のトランクス。
風向きの関係でマントの下敷きにされたつぐみが非難の声を上げている。

「いなくなっちまったと思ったら、まだ引退してなかったのか? オッサン」

「てめぇをブチ殺すまで辞められっかよ! ジョー・東ぃ!」

ジョーの名を叫ぶと同時にホアは酒瓶を叩き付けて割った。
そのアピールにギャラリー達が歓声を上げる。

「あー、やだやだ。大の男が恨み辛みと。
 大体、あんたが弱ぇから負けたんだろうがよ」

大きくかぶりを振って言うジョーの態度に身体をさらに真っ赤にしたホアは、
黒服に詰め寄って試合開始を急がせた。

ジョーは軽く両手を握って胸の前で揺らし、
右足を高く上げながらリズムを取るサウスポースタイルに構える。
一目でムエタイと解る独特の構えである。

一方のホアはジョーよりも上、頭の上辺りで軽く握った手を揺らす、
大胆かつ迫力のある構えを取った。
病的に開け放たれた口からは不気味な酒臭が漂って来る。

やっと中継の準備が整った。
それは同時にいつ始めても良いという合図だ。

ハッピー・パークはかつてない大歓声に包まれた。
REAL BOUT SHOPという看板の店の店長が、
飛ぶように売れるホットドッグにホクホクしている。

「ジョー…… てめぇに俺の技をパクられた後、俺がその技をさらに磨いたのは知ってっか?」

「ああ? 誰がパクったってんだよ。知らねぇなぁ」

「――こいつの事だぁ!!」

言うや否や、矢のようなホアの跳び膝蹴りが、
身を捩ったジョーの脇腹に赤い線を走らせて、
そのまま貫通したかのように遥か後方へと着地した。

「ドラゴンキックだ、ジョー! キヘヘヘ!」

大歓声の中、

「何がパクリだ! てめぇが俺のタイガーキックのパクリじゃねぇか!」

互いに振り返り、罵声を飛ばし合った。


「龍虎相打つ、やな」

そんなことを呟きながらあぐらをかいて地面に座るつぐみの前を、
ホア・ジャイのドラゴンキックとジョーのタイガーキックが行ったり来たりしている。
互いに必殺の威力を秘めているが、互いに知り尽くした技ゆえにそうそう当たりはしない。
だが両者はこの技で倒すことにこだわりを持っていた。

何度も激突し、顔をしかめながらも彼らは跳び膝蹴りを打ち続けた。
小休止し、間合いが離れる。
ホアが肩で息をしながら「ブッ殺す」「ブッ殺す」とうわ言のように言っている。
対してジョーはただ汗をかいているだけで、息は乱していない。
酒に溺れているホア・ジャイとはスタミナで雲泥の差があった。

「――ホントにくだらねぇなぁ、ホア。
 俺はこんな寒いバトルをするためにアメリカくんだりまで来たんじゃねぇんだよ」

「んだとぉ……」

「恨みとか、憎しみとかそんなんじゃねぇだろ! 熱くなるバトルってのはよ!
 あんたとタイで闘った時は、もっと燃えるものがあったぜ、メラメラとなぁ!」

――俺は、そういう闘いがしてぇんだよ。

ジョーの哀れむような眼が、ホア・ジャイには屈辱だった。
だが、心のどこかで、彼は自分が間違っていることに気付いている。
子供達に囲まれ、英雄と崇められた日々は闘いが楽しかった。
強い相手と闘って、そして勝つと、どうしようもなく魂が踊った。

それを奪った強い男に対する、嫉妬――
今の自分にはそれしかない。

「ホア、そこで面白くするための提案だ。賭けをしよう、KOFらしくな。
 負けた方が勝った方のセコンドをやる。どうだ?
 恨みなんて理由より、よっぽど闘い甲斐があると思うぜ?」

ジョーは深く、不敵に笑っている。
片膝を突き、見上げるジョーの背から射す日差しが、どこまでも眩しい。

――畜生……


「残念ながらその賭けは成立しねぇ!
 俺が勝つってことは、テメェが死ぬってことだからだぁー!」

最後の体力を振り絞った、ドラゴンキック。
だが、後から繰り出されたジョーのタイガーキックはその上を取り、
ホアの顔面へと、その膝を突き刺した。

「グエェ!」

実際に虎を倒してそう名付けたタイガーキック、ひとたまりもない。

「ジョーの勝ちや! なにわパワーや!」

ジョーが何かポーズを決めようとした瞬間に鳴り響いたつぐみの声が、
間の抜けたファンファーレだった。


「――ジョォ……」

折れた鼻から溢れ出る血を押さえながら、ホアが身を起こしてジョーの名を呼んだ。
険悪なムードにつぐみがジョーを見上げる。表情は見えない。

静寂――


ホアが動いた。

「優勝しろよ、クソ野郎が……」

ジョーはホアに最高の笑顔で、握り拳を掲げて見せた。

「オッシャー!!」

大歓声と惜しみない拍手が二人を包んだ。
つぐみが感動して何度も何度も鼻をかんでいた。



「すまねぇな、どうにもあんたしか心当たりがないんだ」

テリーは散々考えた後、以前にジョーに連れ込まれたあの店、
パオパオカフェへと足を運んでいた。
大会参加者のパンフレットを見ても、テリーが知っているのは
せいぜいがジョー・東とビリー・カーンくらいのもので、後はこの店のマスター、
リチャード・マイヤくらいしか行く場所も、心当たりもなかったのだ。

「いやホント、一宿一飯の恩義があることだし、悪いとは思ってるんだが……」

店の闘技場から動かず、対戦相手を待っていたリチャードは大らかに笑った。

「ファイターが闘うことに、良いも悪いもないでしょう。
 ただ――貴方の相手はもう他に居るようですが?」

リチャードの言葉に首を傾げ、テリーと観客達が振り返ると、
そこには名ダンサーとして名を馳せる、ダック・キングと、
そのファンなのか取り巻きなのか、複数のダンサー集団の姿があった。
取り巻きの持ったラジカセからダンスミュージックが登場テーマのように流れている。

ダックは金と紫のツートンモヒカン頭に水中メガネのような物を装着している男で、
ぶかぶかのズボンはやはり格闘家というよりもダンサーのそれだった。
大歓声に応えてちょっとしたダンスでポーズを決めた後、
彼はズカズカと歩み寄ってテリーの胸倉を掴んだ。

「テリー、テメェ! 居るんならなんで俺の所へ来ねぇんだ!」

掴まれた瞬間はムッとしたが、何か意味の解らないそのセリフにテリーはキョトンとした。

「――いや、誰だ?」


シーン


その後、ダックが烈火の如く怒り出した。

「テメ、テメェ! この俺を忘れちまうとはどういう了見だ! エエ!
 闘っただろうが! 二回もよ!!」

さっぱり解らない。

そんな様子のテリーをダックは離すと、大きく深呼吸して事情を語り出した。

「まず一回目が、まだガキの頃だ。ケンカでテメェとやり合って、んで、負けた。
 おかげで俺の子分はぜぇーんぶ居なくなっちまった。
 俺はよ、それが悔しくてきちんとマーシャルアーツを習ったぜ、コツコツとな。
 んで二回目! これがその全米マーシャルアーツ選手権の決勝戦だ。
 連覇確実って言われてた俺様を、突然現れたテメェがまたも…… またも…… チクショォウ!」

ああ、なるほど、とテリーは手をポンと叩いた。
子供の頃の話は覚えてないが、確かに旅先で、
年上の強そうな奴に手当たり次第にケンカを吹っかけていた時期はあった。
それからその決勝戦は言われてみれば何か同じ様なモヒカンの男を倒した気がする。

「あれがお前さんだったのか」

「テメェ! 対戦相手の名前も見ずに試合に出たってのかよ! キー!!」

まさに地団駄を踏んで悔しがるダック。
その後、彼はビシッ!とテリーに指を突き付け、宣戦布告を行った。

「勝負だ、テリー! もうライジングタックルは喰らわねぇ!
 さらに俺様には新しく編み出した必殺技がある! 俺の勝ちだ!」

掟破りの逆乱入である。

テリーは微笑んで闘技場を空けるリチャードに軽く会釈をすると、OK、と言って構えた。
パオパオカフェに常備されていた中継設備がテリーとダックの試合に切り替わる。
いつかの打楽器等を持った楽団の演奏が始まった。

テリーは軽く拳を握り、膝でリズムを取るオーソドックスな構え、
ダックは身体を大きく上下に揺らし、あたかも踊っているような不思議な構えだ。
同じマーシャルアーツでも二人のスタイルはまるで違う。

「テリー、俺はこの日を、ずっと、待ってたぜ、ベイビー!」

調子が出て来たのか、自分のリズムに合わせるようなイントネーションを取り、
ダックが言った。取り巻きも奇声を上げて盛り上がっている。

「その割にはなかなかかかって来ないな」

対してテリーは少々うんざりした様子が見える。
そんな些細な挑発が今のダックには効果覿面だった。

「言われなくてもかかってやらぁ! ヘッドスピンアタ――クッ!!」

ダックが飛んだ。身体を丸めてボールのようになり、
空気を切るスピードで縦回転しながら水平に飛び掛かってテリーを通過した。
その絶技にギャラリーが大いに沸く。

「ヘッヘー! 躱すとはさすがだな! だがいつまでもつかな? ボーイ!」

ダックはあれだけ回転しながらも綺麗に着地し、両手でテリーを指差して舌を出した。
無言でそれを躱したテリーだが、
避けた後の崩れた体勢がその技の威力を物語っている。
もし避けずに受けていたならば、激突と共に、
歯車に巻き込まれるが如く回転の餌食となっていただろう。

ダックが再び身を屈め――飛ぶ。

「ヘッドスピンアタ――クッ!!」

「サニーパ――ンチッ!!」

ぷぎゃ、という潰れた声が響いた。
回転しながら向かって来るダックの頭が前面に出る瞬間を見切り、
テリーは右のパンチをめり込ませていた。
モヒカンを潜り抜けての壮絶なカウンター。

「――っと、こんな感じで良いのか?」

ダックは一度は立ち上がったもののそのままフラフラと前のめりに倒れ、
尻を突き出してピクピクと痙攣していた。
呆然とする取り巻き達を余所に大歓声が巻き起こる。
乱入成立、テリー・ボガードの勝利である。


「お見事でした」

リチャードが拍手をしながら現れた。

「もしよろしければ、私の相手もして貰えませんか? テリーさん。
 勿論、後日で良いですが」

テリーはリチャードの自分と闘いたがっている様子がいまいち理解出来なかったが、
彼の頼みを断るほど恩知らずではなかった。

「OK、今からで良いぜ。全く疲れてない」

失神して隅に引き摺られているダックが聞いたら激怒しただろう。
そんな言葉をサラリと吐き、テリーは再び構え直した。
ならば、とリチャードも手をぶらりとさせながら、
酔ったように身体を前後に動かす奇妙な構えを取った。
楽団が怪鳥のような声を上げて歌う。

互いに実力を知っているが故に、なかなか踏み込めない緊張感がある。
それを切り裂いたのはテリーだった。
軽くステップして距離を詰めると、ジャブ、ストレートのコンビネーションから、
バックスピンキックを放った。

致命傷ではないが、全て当たる。
テリーの技の、予想以上の鋭さに驚いたリチャードは飛ぶようにして後ろに下がった。
テリーがさらに踏み込む。
そのラッシュは凄まじく、あまり防御に長けているという訳ではないリチャードは、
体重の乗ったパンチを受けて数歩よろめいた後、膝を突いていた。
終わらせるべく、テリーが駆ける。

だがこれは罠だった。
踏み込んだテリーに、腕を組んだまま側回転して飛び上がる不可思議な蹴りがヒットした。
直線的なダックのヘッドスピンアタックは初見で躱したテリーだが、
さすがにこんな軌道の技をいきなり躱せるほどの頭の柔軟さはなかった。

さらにリチャードは飛び上がった勢いのままに、
天井にある雲梯のような二本の鉄棒を掴み、
そのままの姿勢で下方のテリーへと蹴りを放って来た。
リチャード・マイヤはこの戦法を使うために、敢えて店から動かなかったのである。

ガードは出来たものの、
リチャードの使う全く見たことのない技の数々にテリーは軽く唇を噛んだ。

「どうしました? テリーさん」

この男とは、やり難い。

そんなことを、今更にしてテリーは噛み締めていた。

尚も続く上からの蹴り。
飛び技ならば技後の隙を突くことも出来るし、
ダック戦のように直接カウンターを浴びせることも出来る。
だがこういう形で上を取られ、尚且つそこに手のように足を使うこの男の蹴りが加わると
なかなか反撃の手段も思いつかず、離れるしかなかった。

回り込む。
しかしそこには鳥篭へ押し戻す回し蹴りがトラップのように置かれてあった。
リチャードはテリーの逃げる方向を逃すまいとずっと睨んでいたのである。

それをカウンター気味に、テリーはまともに喰らった。
ダメージがある。
そこでじっとしていれば、さらに蹴りを喰らう。

テリーがピンチを自覚した時、闘技場の隅から声が聞こえた。

「ライジングタックルだぜ! テリー!」

それがあった。
追い詰められている焦燥から忘れていたが、上方の敵を撃つ技をテリーは持っていた。

「ェエイヤー!!」

思い切り逆さに飛び上がって、回転しながら真上に蹴りを捻り込むテリーの対空兵器。
リチャードに負けず劣らずのその奇妙な技は、リチャードの予想を超え、
両腕で鉄棒を掴み、ノーガード状態の顎へと突き刺さった。
くぐもった声を吐きながらリチャードが地面に激突した後、
テリーがやっと重力を思い出したように着地した。

完璧に決まった、ライジングタックル。
テリーが声のした方を見ると、意識の戻ったダック・キングがガッツポーズを決めていた。

「ダック、なんで……」

「テメェが負けるトコなんか見たくねぇんだよ! イエー!」

それに乗せられるように、取り巻きのダンサー達も腕を上げてテリーに声援を送った。
一般の観客達も乗せられる。
場所が場所だけにリチャードのファンの方が当然多いのだが、
今はもうそんなことは関係なく、素晴らしいファイトを見せるファイター達に
惜しみない声援が送られていた。

テリーの背筋が、ゾクリとする。
魂が震える、という感覚を味わった。


――これは、高揚感?
――闘うのが、楽しいのか?


ギースへの憎しみを糧に、ジェフの言葉を守ろうと闘って来た。
闘いが楽しいなどとは、一度も考えたことはない。
血で磨いた真っ赤な牙をギース・ハワードの喉元に穿つことだけを考えて、
悪魔に取り憑かれたように闘い抜いた。

生贄となった男の怨嗟の声が、希望に繋がると信じて――


――やめとけ、やめとけ。そんなこと考えて闘ったって、何も面白いこたぁねぇぜ。


ジョーの言葉がリフレインする。
かぶりを振って意識を前に戻すと、リチャード・マイヤが立ち上がっていた。

「――OK」

テリーは興奮するように小さく呟いた。
そこからはもう、歓声に乗せられてただ拳を振るうだけだった。
逆立ちになり、さらに奇怪な変則蹴りを打って来るリチャードをなんとか避け、
下段になっている顔を屈んでの蹴りで崩そうとする。
反応して飛び上がりながらさらに繰り出された伸び上がる蹴りを躱しながら、
テリーはリチャードに感嘆した。

強い。

そして――楽しい。


勝負を決めたのはテリーの伝家の宝刀、バーンナックルだったが、
試合を終えてリチャードと交わした握手と、観客からの声援は、
テリーにとっては初めての、怨嗟の聞こえない勝利だった。

「OK!」

雰囲気に押されるように客席へと帽子を放り投げた。
楽団の歌声が、歓喜の歌のように響いている。


大会の一日目、テリー、アンディ、ジョーの三人は、順調に勝ち残っていた。

【16】

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