サウスステーション――
セントラルシティの西端、サウスタウンでは田舎に位置する駅に、山崎竜二は潜んでいた。
鴉が線路に止まり、カァカァと笑い声を上げている。

「おやおや本気で復活する気かい? 老兵はおとなしく消えていけばいいものをよ……」

山崎は言いながら足を蹴り上げ、口に引っ掛けたままのホンフゥを横へ飛ばした。
咳き込んだホンフゥはそのまま伸び、もう動かない。

「私の街はドブネズミの巣ではないのでね。おちおち休暇も取れんのだよ」

「私の街だぁ? ケッ、こんなチンケな街のどこが良いのかねぇ。
 だがまぁ、好都合だ…… てめぇから直接、秘伝書を頂くとするか。オイ、フランコ!」

山崎が怒鳴るようにその名を呼ぶと、背後から巨体がゆらりと、
張り詰めた表情で現れた。
フランコは山崎を憎々しげに睨みつけ、ギースの方を見ようとはしない。

「オイオイ、面倒臭ぇなぁ…… わざわざ言わせんなよ。
 ギース・ハワードをぶっ殺すか、てめぇのガキが死ぬか、さっさと選びな」

「――この、下衆野郎が……!」

フランコはギースへ向き直り、苛立ちをぶつけるようにして眼光を滾らせた。
だが、ギースは腕を組んだまま、フランコの眼を見て構えようとはしない。

「どうした! 構えねぇ相手をぶん殴る趣味はねぇんだ! さっさと構えな!」

「構わねぇ…… なぶり殺してやんな、ククク……」

白い毛皮のコートを羽織り、山崎が愉快そうに口を出す。

「黙ってろ!」

フランコはそう一喝し、尚も構えないギースを睨みつけたまま動かない。
そしてギースの口元が、笑いに歪んだ。

「私が用があるのはそこのドブネズミだけだ。貴様に興味はないな」

「アンタになくても俺にはあるんだ! 闘え! 闘ってくれ!」

だが、さらに歪む。

「貴様の息子はすでにエージェントが救出している。
 それでも闘えと言うなら私は構わんが?」

「っに!?」

フランコの目が大きく見開かれた。
振り返ると山崎も苦虫を噛み潰したような表情をしている。
向き直る。ギースは笑っていた。

「ほ、本当か?」

「私がそんな下らん冗談を考えるなら、お前を倒した方が早いと思うがね。
 フンッ、手紙を送った相手が良かったようだな」

――手紙……!

テリー・ボガードに送った手紙まで知っている。
事実だと確信した。
首にかけてある、息子の写真の入ったペンダントを見る。
それが液体に滲んだ。

ありがとう、テリー・ボガード……
ありがとう…… このお礼は、必ずする。一生を賭けてでも、必ずさせて貰う。

だが、その前に――


「ゥオオァアアアアアアアアアアアァァ!!」

フランコが吼えた。
青いグローブに包まれた、巨大な拳を山崎に打ち込んだ。
一撃目はボディに、そして二撃目は蹲った脳天に打ち込む渾身の拳。
現役時代、ダブルコングと呼ばれていたフランコ必殺のコンビネーション。

だが、それをまともに喰らった山崎は血を吐いて俯いたまま、
ゆらりと、しかし確実に立っていた。

「おとなしく飼われてりゃまたリングに戻れたかも知れねぇのによぉ……
 あんたもつくづくツいてないねぇ……」

ゆっくりと、眼光だけがフランコを向く。
左手はまだポケットに封印されたまま。
だが、本能が後退ってしまう、異様な迫力があった。

山崎の背後を貨物列車が走った。瞬間、フランコの目に血の霧が吹きかけられる。
「グワッ!」
そして、列車の騒音さえ掻き消す奇声が鳴った。

「ヒヤァァァアアアァァ――ッ!!」

山崎の身体が地面に弾かれるように跳ねた。
上空に現れた獣の姿に鴉達が泣き喚いて飛び去って行った。
夕陽を背負い、狂気の封印が解ける。
フランコの喉を抉るように掴んだのは、狂い果てた笑みを浮かべる山崎の左手だった。
宙を漂ったコートが線路にかかり、何かの暗示のように飛び散った。

左手から勢いと体重を預けられ、フランコ110kgの巨体がいとも容易く倒れる。
そして山崎はそのまま尖った石の転がる荒れた地面へとそれを引き摺り走った。
必死に抵抗していた狂気の蛇口が、全開で滝のように赤黒い水を打つ。
その血走った赤い眼は彼がすでに人間社会の存在ではないことを示していた。

ガリガリと、まるで衰えない勢いでフランコは首を絞められたまま引き摺られる。
それはまるで、時代遅れの拷問を受けているようだった。
完全に意識の消えた巨体を山崎が放り投げる。
その先にはギースがいた。
ギースは飛び上がってそれを躱し、山崎へと駆け込んだ。

この恐ろしい闘いの傍観者は、ヘリのホッパーしかいない。
その彼はもう、身の毛のよだつ山崎の狂態に震える身体を、
必死に押さえることしか出来なかった。
あの時、垣間見た山崎竜二の獣性の全てが開放され、
ギース・ハワードへと向けられている。

ギースが拳打を打ち込む。山崎は防御などしない。
殴られるままに殴られ、それ以上の拳を返した。

「痛ぇだろうがよォ!」

左の拳がギースの胸に突き刺さる。ギースをしてよろめいた。
そこに放たれた後ろ蹴りは胸元の大傷に的確に決まった。
そして今度は両手の爪を獣のように立てて、同じ場所に抉り込む。
ギースの傷を裂く。そこから噴き出る鮮血だけが今の山崎を繋ぐモノだった。

「ぅお!?」

だが、刺さらない。
渾身で突き立てたはずの拳が、皮膚で止まった。
すぐに別の、肩口の傷にターゲットを移す。だが刺さらない。
別の傷に移す。どんなに殴っても皮膚で止まる感触しかしなかった。

「――この傷はな……」

ギースが動く。山崎の顔を、巨大な掌で握った。

「テリー・ボガードが付けた物だ。
 この傷はジェフ・ボガードが、これはリョウ・サカザキ、これはタクマ・サカザキだ……」

「お、おがぁ……!」

持ち上げられ、山崎の長身が宙に浮く。

「貴様のようなネズミに刻める物では無いわ!」

そのまま発勁を受け、山崎の肉体が弾け飛んだ。
両手で顔を押さえ地面に悶える。
通り過ぎた列車の砂煙が山崎を惨めに汚した。

だが、その煙が煙幕となった。
伸びる右が煙の中から打ち込まれる。
ギースのこめかみを擦った蛇使いが髪を巻き込んで飛ばした。
まだ消えない煙の中からさらに蛇使いが飛ぶ。
それに胸を打たれながらも捕えようとしたギースだったが、
その時にはもう腕は引いていた。

打つ以上のスピードで引かれる。
それ故に速く、鋭い。

煙が引くとすでに山崎の姿はなかった。

「ギィィエァァアアアアァァ――ッ!!」

姿は空へ――
呪われた左拳を抉るように開いて、野獣が空から牙を振り下ろして来ていた。

「この、アマチュアがァァ!!」


だが、そこで時間は止まった。


山崎の左手はギースの左腕に吸収されるように吸い付き、
直後、砂利にまみれたコンクリートの大地へ、顔面を叩き付けられていた。

そのまま後頭部を掴んだ腕を押し込み、ギースは動かない。

「どうだ? チンケな街の臭いは」

ギースが腕を押し込む。
山崎の呻き声すら届かないほど、その顔面はコンクリートにめり込んでいた。
そしてさらに、力は強められる。

「聞こえるか? この街で脈打つ、狼の魂が。
 この街の大地は、多くの狼達の血を吸い、そしてまた少年に牙を与える。
 ――それが私の街だ! 貴様のようなドブネズミには解るまい!」

ギースの腕はついに手首までコンクリートにめり込み、そして鮮血が跳ねた。
返り血が頬を打つ。その血を拭おうともせず、
ギースは尻を突き出して痙攣する山崎を尚も怒りの眼で睨み続けた。

ここまで強い。
ホッパーは今度は違う意味で打ち震えた。
ギース・ハワードは間違いなく復活し、そしてより強くなっている。
自分の主の圧倒的な強さに全身の震えが止まらなかった。

だが、そこで記憶は終わる。
気が付けばもう、ギースの姿はどこにもなかった。
どこへ行ったのかも解らない。現実的ではないが、消えた、という表現が一番だろう。

興奮で目線を切った間に何かが起こったのだろうか。
それとも、その時間は意外にも長くて、ギースはすでにどこかへ移動したのだろうか。
記憶も曖昧になっている。時計を見ても、何故か時間が解らない。

何が起こったのか解らないホッパーは、困惑のまま、ビリーとの合流を急いだ。
ギース・ハワードの身に、何かが起こっている。



ギースは歩いていた。
だが、どこをどう歩いて来たのかは解らない。
ふらふらと意味も解らずに歩き続けた先は、ギースも知っている、
14年前にイカレた建築家が立てた、デルタパーク。

水、森、火をテーマとした公園なのだが、中国庭園風の水、森はまだまともで、
しかしこれが火のエリアに入ると、実際に炎が燃え盛っている中、
悪魔崇拝のような禍々しい髑髏の飾り付けがなされている。

何故、こんな場所を歩いているのか――
その答えは、火のエリア、最深部へと続く扉の前に存在した。

ギースの胸ほどもない、おかっぱ頭の少年。
だが、全身を纏う異様な雰囲気は、それがただの少年でないことを如実に物語っていた。
いや、ヒトであるのかさえも解らない、薄気味の悪さ。生気のない、青白い顔。
何かの間違いで魂が宿ってしまった人形がそこに存在した。

「どうやら本物のネズミの御出座しのようだな」

ソレを前にして、尚、ギースは腕を組んで不敵に笑った。
それが心底可笑しいらしく、少年が喉を震わせる。やがて口が動いた。

「貴方がギース・ハワードさんですね。お会い出来て光栄です。
 私の名は秦崇秀。この街はとても良いところですね。私も気に入りました」

きちんと表情がある。

「貴様の方こそ良く出来た人形だな。秦一族か…… 下らん連中だ」

「おや、ご存知なんですね。では早速ですが、秘伝書を返して頂きましょうか」

「突然呼ばれたのでな、悪いが所持してはおらんよ」

「いえ、きちんとありますよ、そこに――」

崇秀がギースの袴を指差した。
ギースの表情に驚きが浮かぶ。確かに、袴のポケットに秘伝書の重みがあった。

――馬鹿な、何故、私はこれを運んでいる……

「フフフ…… 何も驚くことではありませんよ、ギース・ハワード。
 貴方が私の下へ秘伝書を運んで来るのは2200年前に決まっていたことなのですから」

「何だと……」

「貴方も知らないわけではないでしょう?
 “秘伝書は最強の男の元に集う”この伝説は飾りではないのですよ。
 フフッ、この意味、解りますか?」

ギースの表情が明らかに歪んだ。
例えようのない不快感。
憎しみと恐怖が溶け合ったような、気味の悪い粘液がのた打ち回る。
それを助長するように、崇秀は笑い、言葉を続けた。

「貴方は疑問には思いませんでしたか?
 この世界があまりにも貴方に有利に出来ていることを。
 拳一つで組織を駆け上がり、絶大な権力を築いた。
 そしてそこで一度死んでも、尚甦って貴方はこの場所に立っている」

ギースは俯き、何も言わない。

「貴方は自分一人の力でここまで奇跡を起こしたと思い上がってはいませんか?
 本来なら貴方はとうに死んでいるはずなのですよ。だが、生きている。
 何故でしょうね?」

超常の力を聞かされ、ギースの身体は震えた。
さらに、崇秀の話は続く。

「哀れですね。貴方は私の為に友や弟をその手にかけたのですよ。
 手を取り合えたはずのジェフ・ボガードとヴォルフガング・クラウザーを、
 貴方は私の為に殺した。2200年前の決まり通り、私の前に秘伝書を運んで来る為にね。
 そしてその強者の魂も、秘伝書の力となる。
 貴方が愛した女性はつまみ食いといった所でしょうか?
 必死にクラウザーから秘伝書を奪った意味は有りませんでしたね。
 その秘伝書に、メアリーは食われていたのですから、アハハハ……!」

敷き詰められた蝋燭の炎が、何者かの到着を察知して横に揺れた。

「さて、王龍の肉体となるのに相応しいのは貴方の身体でしょうか? ……それとも」

崇秀の身体が蜃気楼のように消える。
彼が最後に顔を向けた先には、あの男がいるのだろう。
それが解ればこそ、ギースは震えた。
その震えは、やがて放笑に変わる。

「ハッハッハッハッハッハッハッ!」

ギースの笑いは秦崇秀を心の底から道化と笑う、豪快な嘲笑だった。
振り向く。そこには呆然とする気持ちを闘志で繋ぎ止めようともがく、
宿敵、テリー・ボガードがいた。



「何故、俺を責めない……?」

テリーは顔を背け、舞に聞いた。
舞はアンディのベッドに縋りついたまま、表情は見せない。
だが、返った声はハッキリとした、強い声だった。

「どうしてテリーを責めなきゃいけないの?」

「――俺はアンディを、見殺しにした」

その言葉は、テリーの表情を一層暗くする。
腕を組んで壁にもたれ掛かるジョーも、それに何も言えなかった。

「アンディ――嬉しかったと思うんだ」

意外な言葉にテリーが舞へ顔を向ける。
気丈な後ろ姿。だが、微かに震えている。

「アンディは最後まで闘えてきっと嬉しかった。
 私だって武道家だもの。それくらい解るわ。
 だからテリーを責めるなんてお門違いもいいとこ。それに、それなら私も同罪だしね」

言葉は涙を含んだ。

「だったら私は、彼が起きるまでこうやって手を握ってるのが償いかな」

どこまでも気丈に、舞はアンディの手を握る。
強く、強く――

だったら、俺は――何だ……? 何が出来る?

考えた。一つしかない。
テリー・ボガードという飢えた狼は、闘いの中にしか生きられず、
そして、闘うことでしか人を救えない哀れな男だ。

テリーは背筋を伸ばし、一歩一歩ドアへと歩んだ。
手をかけて振り向く。俯いた舞の表情は見えないが、声をかけることは出来る。

「舞、アンディは八極聖拳の内功を心得てる。
 意識が戻れば、後は回復は早いさ。心配はいらない。
 アンディを、頼んだぜ」

頷く。何度も、自分に言い聞かせるように舞は頷いた。
テリーのドアを閉じる音が静かに鳴る。
だが廊下で、テリーは足止めを喰らった。
肩を強烈に掴まれている。
振り向けばジョーがいるのは解っていた。

「テリー…… やっぱり、行くのか?」

仲間に優劣を付けるのはジョーの主義ではないが、
テリーは確かにアンディより強いだろう。
それは一年前のKOF決勝でもジョーは目の当たりにしている。
だが、それでも僅かな差に過ぎないと、実際に互いと闘ってジョーは感じていた。

仮にもしテリーがアンディと殺し合ったとして、
勝つにしてもあそこまでアンディを痛めつけることは出来ない。
過去にテリーがギースに勝っているという遠い事実よりも、
今、目の前で見せられたアンディの姿の方が、ジョーには重く圧し掛かっていた。

このまま、行かせて良いのか……?

だが、テリーは振り向いて笑った。

「くだらねぇ心配してんじゃねぇよ、ってな。
 アンディの分までヒィヒィ言わせて来てやるぜ」

いつかのセリフ。ジョーの緊張は和らいだ。
突きつけられた事実を、この男が負けるはずがないという、
形のない確信が塗り込めていく。
ジョーもつられるように笑った。それは苦笑だったが、やがていつもの笑みに変わる。

「ジョー、お前はどうするんだ? 山崎を追うか?」

「いや、アンディと舞ちゃんを放っちゃおけねぇ。
 今思ったんだが、チンに連絡して良い病院に移させよう。
 それくらいやらせねぇと割りが合わねぇぜ、ったく」

拳を合わせて別れる。後は闘うだけだ。

その後は意識の外の出来事だった。
意味もなく歩いている。一つの場所へ、何かに導かれるように。

そこへ近付くと、頭に声が響いて来た。
気味の悪い声。少年の声が、不快なノイズとなって頭の中を走った。

――哀れですね。貴方は私の為に友や弟をその手にかけたのですよ。
――手を取り合えたはずのジェフ・ボガードとヴォルフガング・クラウザーを、
――貴方は私の為に殺した。

いや、確かに耳で聞こえているのかも知れない。
視界に、今は宿敵、ギース・ハワードの姿が見える。そして、声の主の姿も。
目が合った後、それが蜃気楼のように消えても、何故か不思議はなかった。
それ以上に、少年の言葉が心を掻き乱す。デタラメだ。デタラメのはずだ。

なのに――



「ギース……」

「何を呆けている、テリー。まさか餓鬼の戯言に惑わされているのではあるまいな」

「だが……」

全ての辻褄が合う。合ってしまう。
それをその運命の渦の中心にいた一人である、テリーの理解が認めようとしている。
それが秘伝書に関わってしまった人間の悲劇ならば、
やり場のない怒りと、どうしようもない、諦めが浮いて来る。

全てを運命に転嫁して逃げられたら、それはそれで楽になれるだろう。
だが、認めない。決して認められない。
テリーの無意識は今、ギースの次の言葉に縋っていた。

「もしこの世に運命という物があるとするならば、それはここに貴様がいるということだろう。
 そして、それだけだ。私と貴様がこの街で、闘う為に出会う。
 神などという男の仕事はそれで終わりだ。後は、勝者が歴史を作る」

そうやって、勝って来た。
勝ち続け、自分の運命を切り開いて来た。
そのギース・ハワードの自負は、何者にも侵略出来ない魂の奥にある。

口の端を吊り上げて笑うギースに、テリーの眼も笑った。
これがこの男の敬意の笑みだとテリーは気付き始めている。

「――ああ、父さんも、クラウザーも、秘伝書の操り人形なんかじゃねぇ。
 そしてそれは俺も、あんたも同じだ」

「フフフフ……」

ギースは腕を組んだまま笑い、龍の巻きついた物々しい柱の奥、
蝋燭の光に静かに照らされている扉を顎で指した。

「勝った方があの扉の奥へ進める」

「ゲームか? あんたも好きだな」

「シンプルな話だ。趣向があった方が面白いだろう」

「構わねぇ、やる事は一つだ。てめぇをぶっ倒して――」

「フンッ、下らん秘伝書とやらを断ち切ってくれる」

腰を落とす。

「行くぜ、ギースゥ!!」

「カモーン、テリー!!」

テリーが一気に距離を詰めた。
技を見切られた瞬間、それは当て身投げの餌食となる。
テリーはギースの正面でブレーキをかけ、背を見せてからのバックスピンキックを放った。
それがギースの腕に刺さる。

反撃に打たれたギースの突きを屈み込んで躱し、腹に膝を浴びせる。
そしてギースの身体を空に押し上げながら咆哮と共に飛んだ。
すでに経絡を伝い、拳には気が充実している。

「――疾風拳!」

だが、テリーの眼に映ったのはギースの掌から放たれた、蒼い気の結晶だった。
視界が光に飲み込まれるのを自覚した時にはすでに無防備に、
兵器の殺傷力を持つ“気”という凶器を浴び、地面に弾んでいた。

地上で気を練っている余裕はなかったはずだ。
ならば、空中でそれを行い、そのまま気を放った。
テリーは混濁する意識の中でその奇跡を呆然と味わっていた。

「何を驚いている? 貴様に教えられた技だぞ、ハッハッハッ」

「何だと……」

膝に手を突き、何とか起き上がる。
まともに気を受けたダメージは大きい。
だが、幸いにも空中で練った気は必殺の域にまでは圧縮されていなかった。
それがテリーの命を繋ぐ。
次にやって来たのは、地上で練り込まれた渾身の烈風拳。

「うああああぉ!」

テリーはいつかのように拳を叩き付け、それを砕いた。
顔を上げる。ギースの表情には余裕が浮かび、
そして次の烈風拳がすでに地上に漂っていた。だが、放たれはしない。
地表に漂ったままの烈風。それもまたテリーに信じ難い気の絶技だった。

「ダブル烈風拳!」

ギースの右腕が烈風を薙いだ。
それは停滞していた気と混ざり合い、テリーの身長ほどの巨大な壁となって圧し掛かった。

「うおお!?」

打ち消すという考えが初めから浮かばない、
不可能を打ちつけながら襲って来る巨大な烈風拳。
それは固めた両腕を引き裂き、テリーの動きを完全に止めた。

腕から湯気が上がる。
気功で固めた防御の上からこれだけのダメージを刻んで来る。
気を扱うという闘い方ではギースに勝ち目がないと、やはりテリーは理解してしまった。
だが、接近して打ち合えば当て身投げがある。
技を読まれた瞬間に終わりだ。

――どうする……

防御を固めるだけのテリーへギースが突進する。
その両手には気の球体が生まれている。
一度見た技。アンディが倒された技だ。
避けようと意識は考えるが、肝心の足が利かなかった。

「邪影拳!」

「ぅあぁあああ――……」

凄まじいインパクトにガードが突き破られる。
テリーは再び地面へ転がり、仰向けのまま目を泳がせていた。
ハッキリとした意識はすでにない。

「私なりにアレンジさせて貰ったが、これは貴様の弟に教えられた技だな。
 アンディ・ボガード…… たいした奴だ。
 不知火流に八極聖拳をブレンドし、威力を倍化させている。
 技の発想、開発ではアンディ・ボガードは貴様よりも才があるだろう。
 だが皮肉だな。奴は貴様とは違い、天才ではなかった」

――だ、まれ……

耳障りな声が意識を憎しみで繋いで行く。

「健気に貴様や私と並びたがっているようだが、
 負ける道理のない闘いを何度も挑まれるのは兄としては不快だろう。
 これを機に教えてやると良い。お前は一生、兄には勝てんとな」

「黙れ!!」



アンディとは孤児院で出会った。
人懐っこいテリーとは違い、人見知りで遠慮がちだったアンディは誰にも懐かず、
いつも一人で折り紙をしていた。

そんなアンディを外に連れ出したのがテリーだった。

「相手がいねぇんだ。バスケやろうぜ、バスケ」

アンディは戸惑ったが、半ば強引にテリーへと誘い出されていた。
勝負は何度やってもテリーの勝ち。
それは最初から解っていたテリーだったが、
アンディは意外にも負けず嫌いで、何度も何度も挑みかかって来た。

結局一度も負けることはなかったテリーだったが、
アンディはテリーの運動神経にすぐに泣き言を言った他の子供達とは違った。
テリーはそれが楽しく、毎日、アンディを連れ出して遊んだ。

やがてシスターに内向的なアンディの世話を頼まれると、
二人は私生活でも共に行動するようになった。
アンディの人見知りは変わらなかったが、彼はテリーにだけは心を開いていた。

そして、孤児院が焼き落とされる。
泣き喚くアンディをテリーは叱りつけ、手を取ってサウスタウンのスラムへ連れ出した。
そこでストリートファイトが行われているのを見ると、
テリーは目深に被った帽子でやり場のない怒りを隠すように、大人の間に割って入った。

テリーはどこにでもいる、少々運動神経が良く、ケンカの強い子供だった。
負けたことはない。だが、今の小さな身体で大人に勝てるはずはなかった。
何度も何度も、彼は殴り倒される。それでも立ち上がった。
吠えて、吠えて、吠えて殴りかかった。

その姿を、アンディに見せたかった。
殴られながらその痛みの中に後悔がなかったわけではない。
だが、立ち向かって行く自分と、どこまでも立ち向かって行けるはずのアンディを、
その拳の中に見たかった。アンディの為でもあり、自分の為でもある。

やがて気味の悪さを感じた対戦相手が棄権すると、
テリーに少しばかりのファイトマネーが入った。
笑顔でそれを見せ、食べ物を買いに二人で歩く。
寒さに打たれる中での暖かい最初の食事の場で、二人は兄弟となった。

アンディは変わらない。負けた相手に何度も挑んで行く。そして強くなる。
だが、そんなアンディにテリーは一度も負けたことはない。
そして、これからも負けることはないだろうという、無情な理解もある。
アンディがそれをどう思っているのかは解らない。
立ち向かうことに目標、楽しさを見出しているのかも知れない。

だが、それはテリーには残酷過ぎた。
永遠に勝てない相手に挑み掛かり、そして、その数だけ負ける。
負けず嫌いな男だ。敗北は苦しいはず。それを払拭する為にまた闘い、また敗れる。
それを滑稽などとは思わない。
だが、それを与えている自分への痛みは、拳を合わせる度に増した。

同じ道を進むしかなかった兄弟。
八極聖拳の正統後継者にアンディではなく、自分が選ばれた時はまるで嬉しくなかった。
祝福してくれるアンディの優しさが、何よりも痛かった。

いっそ、わざと負けてやろうかと考える。
それでアンディが喜ぶとは思えない。だが、自分は楽になるかも知れない。
そんな卑怯な考えがテリーの中に生まれたのは、一年前のKOF決勝の時だった。

アンディ・ボガードとは良い勝負になる。しかし、自分を追い詰めてはくれない。
物足りなさを感じた。それはすでに本気ではないということだ。
クラウザーや、今、ギースと闘ってそれを痛烈に感じている。

可哀想な弟。それを可哀想と思うことさえ、弟を傷つける。
繋がっていない血が、今は重く圧し掛かっていた。

あの時、止めなかったのは、アンディの武道家としての誇りを思ったのではなく――


「俺はな、ギース…… ケンカしか取り得のないどうしようもねぇ男だ……
 だがアンディは違う。俺なんかより、ずっと出来た奴さ!
 てめぇに…… てめぇに何が解るってんだ!!」




随分と長い間、ただ睨み合っていたからな。
どうやら互いに兄弟で殺し合うのは避けたかったらしい。

私は本音だよ、ギース。テリー・ボガードがお前を倒してくれて本当に嬉しかった。
いや、それでもどこかで悲しかったのかな。
少なくともお前と睨み合っている時間は腸は煮え繰り返ってはいたが、
孤独を感じることはなかった。思えば私のお前への感情は、ただの嫉妬だったのだろうな。


手を取り合えたはずの弟と、秦崇秀はそう言った。
なぜ互いに憎み合い、殺し合うことになってしまったのか、今は解らない。
憎いのはルドルフという男だったはずだ。最初はそうだった。

だが、ルドルフがクラウザーの手で殺されたと聞いた時、目標が消えたとは思わなかった。
すでに、ヴォルフガング・クラウザーを倒すことだけが目標となっていたからだ。
いつまでも子供ではない。母への望郷や父への確執など、年を重ねれば消える。
消えはしないまでも、確実に薄れるだろう。いつしかただの思い出に変わる。
今にして思えば、ただその程度の憎しみだった。だったはずだ。

だが、クラウザーとは決着をつけなければならないと思っていた。
その思いだけがギース・ハワードを駆り立て、シュトロハイム家に対抗すべく組織を欲し、
そして、サウスタウンという最高の街を手に入れた。

そう、全てはクラウザーと闘う為に。
クラウザーと並ぶ為のサウスタウンへの執着。

嫉妬、とクラウザーは言ったが、他でもない、最も嫉妬していたのは自分だ。
ギース・ハワードだ。
クラウザーが持っていた全ての力に嫉妬し、そこだけを目指して闘った。

互いに嫉妬し合っていたのだろう。
何のことはない、ちょっとした行き違いだ。
たったそれだけのことが、得体の知れない殺意を生んだ。

手を取り合えたはずの弟。

その言葉が真実ならば、何故――

クラウザーがいない今、もう、こんな街など必要ないはずなのに――



「――殺せ」

ギース・ハワードは静かに言った。

「何……?」

「羨望と嫉妬は表裏一体だ。それはやがて、憎しみに変わる。
 貴様はその前にアンディ・ボガードを殺して欲しかったのだろう?
 だが駄目だな。あの男は死なんよ、貴様の拳でなくてはな」

テリーの顔色が青く変わった。
そんなことはまるで考えもしない、完全に否定出来る物だ。
そう塗り固めても、顔色は変わる。それは何かの証拠なのだろうか。
テリーは歯軋りを強め、目を見開いてギースに殴りかかった。

「うううぁああああああ!!」

テリーの拳がギースの左手に止められる。
瞬間、当て身投げが来ると身構えたのが仇となった。
そこにギースの攻撃の間が生まれる。
重い蹴りが顔面に一撃、続けて腹にもまともに入る。
呻いたテリーを弾き飛ばしたのは渾身の裏拳だった。

「ウアアアゥ!!」

だが、後方へ弾かれながらテリーは吠えた。
その闘気にギースの表情が変わる。
バランスを崩しながらもその後頭部へ、テリーの蹴りが入った。

ギースが揺れる。
すぐにファイティングポーズを保ったテリーは気を集め、渾身の拳を打ち込んだ。

「バーンナックルッ!」

拳が、ギースの腹に突き刺さる。
帽子の鍔に感じた重みはギースの吐血。
そのままテリーはボディブローの連打をギースに浴びせ、
ギースの反撃をスウェーで躱すと強烈なフックを頬に打ち込んだ。

「ぐぅ!」

呻く。だがギースも崩れない。
互いに繰り出した蹴りがぶつかり合い、バランスを崩して二人は下がった。
距離は1メートルと少し。まだ一触即発の間合いだ。

息が切れる。
確かな殺気に打たれ、ギースはテリー・ボガードが腑抜けてはいないことを確認した。

「面白い男だな、テリー。貴様は追い詰められる度に強さを増しているようだ。
 限界は無いのかな? 随分と優しくなったと思ったが、
 今の貴様は3年前と同じ、血に飢えた狼そのものだよ」

テリーは視線を拳に移し、きつく、グローブを絞め直した。
右手、左手と、命が拳に染み込んで行く。

「俺はなぁ…… 俺の拳には父さんと、アンディの想いが篭ってるんだ!
 俺一人の拳じゃねぇんだ! 負けられねぇんだよ、ギースゥ!!」

テリーの拳が黄金に輝いた。
全身を伝う力が、大地に流れる力が、全てテリー・ボガードの右腕に集約される。
それを思い切り振り被るだけで強烈な突風がギースの身体を煽った。
ギースの眉が動く。躱す時間は与えない。
テリーが地を砕く勢いで拳を叩きつけると、そこから巨大な気の柱が生まれた。

テリー・ボガードの、最大の奥義――

「パワーゲイザー!!」

ギースの身体は柱に飲み込まれ、シルエットすらも消した。
天井の飾り付けが無惨な姿で落ちて来る。
あちこちで耳障りなガラスの割れる音がした。
それは、大地という世界から吹き上がった力の間欠泉。

だが、テリーが拳を突いた姿勢のまま息を荒げる中、
焼け爛れ、抉り取られた地面を、一人の男が悠然と歩いていた。

「バ、バカな!? クラウザーも倒したんだぞ!?」

ギース・ハワードはゆっくりと進み、テリー・ボガードの眼前で足を止めた。
テリーは動けない。直立のまま、どうしたら良いのか解らなかった。
すぐに腹に衝撃を感じる。くの字に折れ、血と唾が混じった液体を吐いた。
その上で、頭にギースの重い声が聞こえる。

「想いなど…… そんな物を背負っても重りにしかならぬわ!」

続けての掌がさらにテリーの腹を打った。
地獄の苦しみ。なんとか攻撃を返そうとするがすでに力のないパンチだった。
身体で押され、さらに直突きを喰らう。もはやテリーはサンドバックに等しかった。


クラウザーの上――それを、テリーは感じていた。
確かに勝った。だが、自分がクラウザーより強かったかと聞かれれば、
YESとは答えられない。そんな思いがある。

クラウザーは強かった。まるで歯が立たなかった。
自分よりも、強かっただろう。
ではなぜ勝てたのかと考える。
それは、クラウザーに勝つ気がなかったからだ。

いや、勝つ気がないと言ってしまえば極端か。
彼は勝敗より別の物を美徳としていた。それがクラウザーという男の美学だったのだろう。
彼は敗北という可能性が生まれた瞬間、それを受け入れてしまった。

だが、ギース・ハワードにそんな隙はない。
今のギースはクラウザーと同等の力を持ちながら、我武者羅に勝ちに来ている。
クラウザーは王者だったが、ギースは挑戦者だ。
どんなに背負った想いをぶつけても、そんな物は飲み込まれる。
いや、弾かれてしまう。

クラウザーには最後、確かに彼の想いを感じた。
拳に宿っていた、孤独と歓喜。最後に瞳に映った色は、美しい光を帯びたブルーだった。
彼が倒れずに敗北を宣言した瞬間、もう眠りたいのだろうという理解が生まれた。
それはどうしようもなく寂しかったが、テリーもそれを受け入れていた。

だが、今打ち込まれている痛みからは何も感じない。
ただ、熱い。それだけだ。荒々しい野生の牙が肉を抉っていく。
想いがない。理由がないのが、何よりの理由。

血に飢えた狼――

ギース・ハワードはそんなことを言った。
ならば、今のギース・ハワードこそが、本物のそれだろう。
ただ、血を求めて、その先の勝利を求めて、決して敗北などは考えない、
野生のままの拳を吠えながら打ち込んで来る。

餓狼――

テリーはすでに、敗北を考えた。


「――レイジングストーム!!」

ギースの肉体に宿った膨大な気が収束され、そして地面に叩き付けられた。
それは反射し、気の檻となってギースを包む。
同時にその刃は、テリーの身体を人形のように吹き飛ばし、横たわらせた。
すでに動きはない。
ギースはゆっくりと構えを解き、テリーを睨みつけながら笑った。

「まだ生きているならおとなしく寝ていることだ。
 貴様には舞台を用意してやると言った。約束は守らんとな、ハッハッハッ」

それにまだ、肝心のネズミが残っている。
気の受けに関しては、ギース以上の達人はこの世にいない。
八極聖拳の気功防御に、極限流が見せていた受け。
それを究極まで追求してギースの対気功防御は形作られている。

だがそれでも、パワーゲイザーのダメージは大きかった。
髪の焼ける臭いを嗅ぎながら、ギースは決して膝を突かず、扉を潜る。

趣味の悪い建築家が作った化物の骨の標本が、
今にも咆哮を上げそうな空洞の眼でギースを威嚇した。
玉座に座っていた秦崇秀が、気味の悪い笑みを浮かべながら歩いて来る。

【32】

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