明るさを取り戻しつつあるハイウェイをマリーのハーレーが走っていた。
この寒い中を風を切りながらの不眠不休。さすがに疲労の見えるマリーは言葉を発さない。
いや、言葉を発さないのは別の理由もあった。

反対に、舞はマリーの言葉で昨日の焦燥感が薄れて来たのか、
明るく気さくに彼女に話し掛けている。だが返事はない。

「マリーさん……?」

返事はない。

「マリーさんってば」

返事はない。ただマリーの眉間が動いているのだけが感じ取れた。

――うっ、やっぱりまだ怒ってる……

舞が覗き込んだ側面には未だしっかりと刻まれて消えない、
横転時の傷が生々しく残っていた。それを見てあちゃーと舌を出す。
だが、すぐに気を取り直し、笑顔で耳元に近づいた。

「お・ね・え・さ・ま!」

「あーもー、うるさーい!!」

絶叫。マリーを掴んでいた手を離し、耳を塞いだ舞がバイクからまた落ちそうになる。

「貴女はただ乗ってるだけでしょうけどね! こっちは一睡もせずに走ってるのよ!
 汗も掻いたし、ホテルに戻ってシャワーも浴びたいっていうのに……」

「ううっ、ごめんなさい……
 でもそれは私だって同じなんですから、そう怒らないで下さいよぉ……」

「――嘘。イビキ掻いてたわよ」

「ギクッ!」

マリーが、はぁ、と溜息をつく。
だが、死に急ぐような張り詰めた顔をしていた昨日と比べれば
こちらの方がマシかと、悟られないように軽く笑みを浮かべる。
そして、マリーが安心したのと同様に、舞はマリーの言葉と存在に安心を得ていた。

「ところで、こっちで良いのね? サウスタウンビレッジは」

「ええ、もう一日過ぎちゃったし、勝ち残った選手が集まる場所はそこしかないわ。
 アンディも、必ずやって来るはず」

アンディの名を口に出すことで舞の表情が真剣になる。
それを軽く振り向いて微笑ましく見つめると、舞がまた明るく話し掛けて来た。

「ねぇマリーさん、私、驚いちゃったんですけど」

「何?」

「だって、鞘になれって、まるで日本人みたいなこと言うんですもの。
 やっぱり世界を股に架けるS級エージェントは違うっ!」

「あのね、人を海賊みたいに言わないでくれる? 祖父が日本人なだけよ」

「え?」

舞がきょとんとした表情でマリーを覗き込む。
朝日を浴びて眩しささえ感じるブロンドの髪。
正面へ立てば宝石のようなブルーの瞳に迎えられるだろう。

「祖父も武術家でね。何でもギース・ハワードの師匠だったらしいわ。
 技を奪われた上に殺されちゃったみたいだけど」

「えぇー!?」

「ちょっと、落ちても知らないわよ」

「マ、マリーさん、それでギースを倒しにKOFに……?」

「そんなつもりはないわ。会った記憶もない祖父だもの」

マリーが髪を掻き上げながらサラリと言った。

「マリーさん……」

「あら、知らなかった? 私、クールなの」

殺された祖父――舞の心に不知火半蔵の姿が浮かんだ。
もう乗り越えたつもりでも、死を看取った瞬間を思い出すと涙が滲む。
その上、アンディまでも失うことになったら……

舞は静かにマリーに謝った。

だが、その言葉を上の空にマリーは舞の名を呼んでいた。
指を指す。その方向に人影が見えた。
バイクのエンジン音すら打ち消す大きな見知った声が二人の耳に響いて来る。

「おーい、舞だろ!? 俺だ、俺!」

その半裸で道路を徘徊する姿は紛れもなく、ジョー・東その人だった。
大きな溜息をついたマリーがバイクを横付けに止めた。

「やっぱり舞か、良かった。お前のその恥ずかしい格好は目立つから助かるぜ」

「――あんたほどじゃないと思うけど、アンディは見つかった?」

「ちょっと待ちなさい、舞さん」

二人の会話にジャケットを羽織り直したマリーが割って入って来た。
ジョーの腕を掴む。露わになった脇腹には明らかに骨の折れている青い染みがあった。

「ジョー!」

「るせぇな、騒ぐんじゃねぇよ。たいしたことねぇ」

「たいしたことないわけないでしょ? 話は病院で聞くわ」

「うるせぇ!!」

マリーの声をジョーの怒声が遮った。
息を飲む、静寂。

「――悪ぃ、アンディは橋の方へ行った。俺も乗せてくれ」

「ちょっと、無理よ、ジョー……」

「アンディの野郎はテリーと刺し違えるつもりだ……
 俺は死んでもそれを止めなきゃならねぇ……」

「テリーと!? 何で!?」

「奴等が、兄弟で在り続けるため…… つぐっ!」

苦痛にジョーが屈み込んだ。
舞が声を掛けるが青白い顔をしたジョーの眼光はそのままだった。

「悪いけど、いくらハーレーでも三人は乗れないわよ」

その後ろで女性的に腕を組んだマリーが冷静に言う。

「なら、すまねぇがあんたが降りてくれ。俺が運転する」

「怪我人に運転なんてさせられるわけないでしょ?
 アンディ君に会う前に二人で事故死、なんて洒落にもならないわ」

「ん…… なら舞が運転……」

「それは無理」

即答。その後ろで舞が苦笑いする。

「あーもー、ごちゃごちゃ言ってても始まらねぇ!
 三人で乗る! マリー、あんたのバイクだろ! 気合でなんとかしろ!」

「気合って、そんなのでどうにか…… ちょ、ちょっと!」

ジョーはもうマリーを無視して座席の一角に陣取り、鼻息荒く踏ん反り返っていた。

「さっさとしねぇと俺様一人で行っちまうぞ!」

「マリーさん……」

判断は委ねる。そんな目で舞がマリーを見上げた。
そんなつもりはなかったが、どうやらこの一団のリーダーに祭り上げられてしまったようだ。
マリーはガックリと肩を落とし、またしても大きな溜息をつくことになった。

「んもう! 本当にこの街にはランボー者が多いわねぇ!」



「テリーさん、申し訳ない……」

「おいおい、何度目だよ、キム。もう良いって。
 元々タン先生に押し付けるみてぇな真似したのは俺なんだ」

崇雷を抱えて病院へ訪れると、
そこには今まさに病院から飛び出そうとするキムの姿があった。
包帯も痛々しい姿で医者の制止を振り切るキムを止めたテリーは、
もう何度目になるだろうか、 頭を下げるキムに苦笑を浮かべている。

「悪いがキム、崇雷のこと、頼めるか?」

「勿論です、テリーさん」

崇雷は静かに眠ったまま、起きる様子はない。

「崇雷が目を覚ましたら、タン大人のところへ連れて行きましょう。
 崇秀の捜索はそれからということになってしまいますが、
 そこは私には信頼出来る友人が居ますので、何とか手分けして捜してみます」

「信頼出来る友人って…… あれか?」

テリーは部屋の隅で鼻ちょうちんを膨らませてイビキを掻いている
ランニングシャツの男を指差した。
するとキムが誇らしげに大きく頷く。

「ええ、そうです。恥ずかしながら崇秀に倒され、
 気を失っていた私をここまで運んでくれたのが彼、ホンフゥなんですよ」

「――ホンフゥ……?
 確かジョーの知り合いの香港の刑事がそんな名前だったな」

「ええ、仕事で心身に疲労の蓄積した身体でありながら私を気遣い、
 ここまで運んでくれたのです。彼ほど素晴らしい青年を私は知らない。
 この生涯を掛けて恩を返さねばなりません」

そいつはちょっと大袈裟なんじゃないか……?
とテリーは思いながら、悪夢にうなされてサブイボを擦っているホンフゥを見た。

「じゃあ、キムにホンフゥ、後は頼んだぜ」

テリーがドアに手をかける。
するとキムが思い立ったようにそれを呼び止めた。

「テリーさん、崇雷を止めたのは、貴方ですね」

「ん? ああ、そういうことになるが…… 何だ?」

「なのに貴方は、ほとんど傷を負っていない。
 ――強いですね。震えが来るほどに。
 あれだけ完成された力を持っていながら、私と闘った頃よりさらに強くなっている」

「止してくれよ。おだてても何も出ねぇぜ。
 こいつらと闘うコツを俺は身を以って知ってた。それだけのことさ」

それに、崇雷は明らかに弱くなっていた。
力をセーブしていたのか、すでに力を引き出せないほどに彼が追い詰められていたのか、
それはどれも可能性に過ぎず、確証は持てない。

「いや、ただそれだけでは彼らに完勝することは出来ない。
 崇秀と闘って私も身を以って知りました。
 貴方は強い。そして今、その力のピークにある」

「キム……」

キムの真剣さを感じ、テリーがドアから手を離した。

「実は私は昨日で31才になりました。ファイターとしてはそろそろ下り坂なのは否めない。
 もっとも、衰えたつもりはありません。それを言い訳にするつもりもない。
 ですが、ピークと言える状態は、そう長くは続かない」

キムが腰掛けていた椅子から立ち上がり、テリーの手を握る。

「貴方は今がまさに力のピークだ。こんなところで終わってはいけない。
 必ずギース・ハワードを倒し、帰って来て下さい」

「ああ、ありがとう、キム。約束する」

その手を握り返し、テリーもまた真剣に言葉を返した。
キムに背を向け、病室のドアを潜ったテリーに決意が沸き上がる。
闘うのは一人。帰る場所の存在は甘えを生む。
だが、それでもキムの心がテリーには嬉しかった。

三つ編みの看護婦とすれ違う。
振り返ったテリーの目にその女性の背は見覚えがあった。
張り詰めていた頬を緩ませ、テリーがギースタワーへ続く唯一の道、
サウスタウンビレッジへと走る。

だが、道中間もない所でその行進は止まった。
待っている。テリー・ボガードを待っている男はギース・ハワードだけではない。
それを痛いほど知りながらどこか逃げ出したいと考えるのを避けていた。

テリーが自嘲するように微笑む。視線の先の男は微動だにしない。
殺気を纏わり付かせ、周囲の空気を殺している。
全てを捨てて来た彼がまだ捨て切れないものがその場所にあった。

それは、テリー・ボガードが誰よりも知っている男で、
今までに一度も見たことのない、最愛の弟の表情。いや、形相と言った方が良い。

アンディ・ボガードが、最後の決着を待っている。



「アンディ、久しぶりだな。身体はもう良いのか?
 悪ぃな、見舞いにも行かねぇでよ」

「――構わないよ、兄さん。
 今、こうして出会えたんだ。僕にはそれだけで良い」

静かな朝の風が二人の長髪を流した。
それは剥き出しの排気管の熱を揺らし、腐乱したゴミを薄汚い路地裏へと消して行く。
この街で、この世界で、兄弟二人生きて来た。

「どうしてもやるのか?」

「甘く見てると、これでお別れになるよ」

「――解った、始めるか」

テリーが、父ジェフ・ボガードから受け取ったグローブを締め上げる。
拳に血が流れて行く感覚。アンディもまた腰を落とし、拳を軽く握って構えた。
ミリ単位で足の裏を這わし、ジリジリと間合いを奪い合う。
互いのタイミングは同じだった。

「うぉおおあ!!」「ぬぁりぁー!!」

テリーが踏み込みながらの拳を打ち出す。
アンディはそれを両手で捌き、足の側面を打ちつける独特の蹴りを浴びせた。
テリーはそれを太い腕でガードする。そのままアッパーをボディへ。
二発、三発。揺らいだアンディに軽く飛び上がっての踵、クラックシュートを打ち込んだ。

アンディはそれを両腕を交差させてガードする。
凄まじい重さ。足が沈む。
だが、今日まで鍛え抜いて来たアンディの足腰はそれに耐えさせた。
そして大振りなテリーの攻撃は隙となる。

「せぃや!」

アンディが吼えた。フックのような肘がテリーのボディに刺さる。
そして、練り込まれた気がアンディの眼前で爆発した。

「激! 飛翔拳!!」

気で作り出された空間がテリーを飲み込む。
気功で身を固め、防御の体勢を取ったテリーが後方に弾き飛ばされた。
テリーのシューズが擦った地面から砂煙が巻き起こる。

「やるじゃねぇか、アンディ。技のキレがまた鋭くなってる」

「余裕のつもりかい? まだ舐められてるのかな」

「随分突っかかるな。お前と闘ってるのに、余裕なんてないさ」

「なら、無駄口は要らないはずだ!」

アンディが再び踏み込んだ。スピードを武器とするならば嫌でも秦崇雷のそれが浮かぶ。
アンディも確かに速いが、崇雷と比べれば反応は容易かった。
テリーは経験を確実に強さへと繋げていた。

斬影拳を躱し、顎にアッパーを打ち込む。
浅いが、それでもアンディの小柄な身体は軽く浮いた。
そこに膝を叩き込むともはや完全にアンディの身体は宙へ浮く。
無防備に投げ出され、両腕で防御を固めるアンディのその上から、
経絡に気を伝わせた全力の拳を打ち下ろした。

「――ダァンク!!」

アンディの身体が地で弾む。だが瞬時に起き上がって後方へ跳ねた。
足元が危うい。ダメージはある。
それでも、アンディの張り詰めた殺気はまるで衰えはしなかった。
逆に、決意が怒りのように大きく波打ってテリーへ襲い掛かって来る。

――これが、アンディか…… あの優しかった……

兄の背をいつも追っていた、幼き日のアンディ。
あの可愛い弟の姿と今のアンディは重ならない。
互いに修羅の道へ、復讐の狂気へ踏み込んだ瞬間から、追われる背に悲しみが宿った。

――お前は、優しいお前は闘う必要なんてないのに……

自分にはケンカしか取り得がない。
他には何も出来ない、惨めな男だ。だがアンディは違う。
日本で、言葉も通じない国へ出向いて、新しい家族に囲まれている。
彼の優しさが人を惹き付けるのだろう。
自分はこの街に帰って来るまで、友達一人いなかったというのに――

今のアンディは違う。なら、昔のアンディはどうだった?

――昔のアンディを求めて、俺はロックを……?

この街へ入る前に別れたロック・ハワードという少年の顔が浮かんだ。
最後に見た顔のまま、彼は泣き崩れている。
勝手な都合で連れ出し、勝手な都合で悲しみを背負わせる。
それが正しい選択だったとは、今のテリーには思えなかった。

――ホント…… 惨めな野郎だな、俺は……

「アンディー!」

バイクのエンジン音を伴って女の声が聞こえた。

「舞……」

アンディの唇が反応して動く。
バイクを運転しているのはマリーで、その後ろにジョーも乗っていた。
舞がバイクを駆け下り、激しくざわめく心臓を押さえてアンディへと叫んだ。

「やめて、アンディ! 貴方はまだ身体が……!」

「言うなッ!!」

その声にテリーが蒼白の顔で弾かれる。

「アンディ、お前まさか……」

「関係ないよ、兄さん。僕はこうしてまだ闘えている。さぁ続きを始めよう」

「アンディ!!」

舞が再び構えようとするアンディの腕を掴んで止めた。
涙を浮かべ、震える声で哀願する。

「やめて、アンディ…… お願い……」

「下がってろ、舞…… 邪魔だ」

その言葉の冷たさに舞の顔が凍りつく。

「アンディ、てめぇ!」

ジョーがよろよろと駆け出して来る。
そして胸倉を掴み上げた。

「てめぇ、舞がどんな想いでこの街まで追って来たか解ってんのか!?」

青く変色した脇腹に掌底が刺さった。
ジョーが崩れ落ちる。

「く、ぐ……」

「ジョー!」

「舞、ジョーをさっさと病院へ連れて行け」

「それは無理ね」

声はマリーからだった。

「私達だって何度も言ったんだけど、この裸の人全然聞かないんだもの。
 頑固さなら貴方と良い勝負ってところかしら?」

「――もう良い……」

アンディが拳を下げた。舞の安堵と、歓喜の表情が浮かぶ。
だが、その直後に全身に響いた痺れはアンディの拳によるものだった。

「アン、ディ……」

それでも尚、道着の裾を掴んで離さない舞の腕を、アンディは乱暴に払い除けた。
一人表情を崩さないマリーがアンディを睨むように見つめ、舞とジョーに肩を貸して離れる。

「本当に、この街にはランボー者ばっかりよ……」

――乱暴で、不器用で、馬鹿ばっかり…… 私もか。

アンディは舞達には目もくれず、すでに闘いの構えを取っている。
テリーは呆けたように棒立ちのまま動かない。

「さぁ兄さん…… 構えてくれ。仕切り直しだ」

――アンディ、お前…… そうまでして俺を……

テリーは構えない。

「テ、テリー、駄目! アンディを止めて!」

「どうした、兄さん! 構えろ!」

テリーが天を見上げる。淀んだ朝。空気も淀んで感じた。
だが、この街で生きて来た。この闘いの街で生きて来た。
テリーの拳がゆっくりと動いた。

「構えるな、テリー!!」

傷口を押さえたジョーが渾身の声を張り上げた。
それだけでも激痛が響くだろう。だがジョーにはそんな痛みよりも、もっと痛い物がある。

「構えろ、兄さん! いや…… テリー……」

「構えんじゃねぇ、テリー! アンディを殺す気なのか!?」

泣き叫ぶような、ジョーの口からは聞いたことのない、頼りない声が響いた。

「構えろ、テリー・ボガード!!」


――闘ってくれ…… 兄さん……
――俺にも兄さんと同じ、ボガードの血が流れていると信じさせてくれ……


テリーがゆっくりと、ゆっくりと正面へ顔を戻す。
そしてグローブを再び締め上げ拳を握り締めた。

「何でだ、テリー! アンディはお前の弟だろ!!」

――弟……

「――弟、だからこそだ」

拳を胸の前へ。父のように雄大に、力強く。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!!」

テリーの咆哮とアンディの咆哮が重なった。

それはまるで、狼が互いへ吠えているように――

拳が、脚が、肉体の削る音を打ち鳴らして行く。
舞う血の色は同じ、美しいとさえ思える真紅だった。

「何でだ…… テリー、アンディ……
 そんなことしなくても、お前達は兄弟だろ……
 日本であんなに嬉しそうに、兄貴のこと自慢してたじゃねぇか、アンディ……」

呟くジョーはもう、この闘いを見れなかった。
俯くジョーを見る舞とマリーも動けない。男の涙の重さを二人は感じていた。
そして、乱れ舞う兄弟の鮮血もまた、同じように二人を金縛りにさせた。

テリーが倒れる。アンディがテリーを打ち倒していた。
そこに胸元から手品のように取り出したクナイが数本投げつけられた。
マリーが驚愕を、舞が悲鳴を上げる。
確かな殺傷力を持って投げつけられた冷たい刃物はテリーの顔をすり抜け、
地面に突き刺さった。

起き上がったテリーがミドルキックを浴びせる。
よろけるアンディに今度はハイキック。そして踏み込んでのバックナックルを叩き込んだ。
アンディの身体が大きく揺れる。最大に力の乗った右フックがアンディを吹き飛ばした。
まだ終わらない。天へ掲げたグローブにはすでに充分な気が収束している。

「バァァンナックル!!」

爆発が起こった。テリーの拳に引き摺られ滑空するアンディの身体。
そして振り抜かれた拳に投げつけられたように、地面を大きく滑った。
血を吐く。それは兄の拳の痛みか、あるいは身を蝕む呪いのようなダメージの蓄積によるものか。
舞の泣き叫ぶ声も聞こえない。アンディは再び起き上がって構えた。


「――何で、泣いてる…… 兄さん……」


その声に――その場の全員が一斉にテリーへと振り向いた。
帽子の陰から落ちる涙を隠そうともせずに、テリーは静かに涙を流していた。

「アンディ…… お前は変わってねぇ…… 何にも変わっちゃいねぇ……」

今も必死に、あどけなく、兄の背を追っている。
まるで、追いつけないと捨てられてしまうと自分を追い込むように。
それは打ち捨てられた子供のままの、少年の日のままのアンディの純粋さだった。

「いつだってお前は、俺に……」

ロックとアンディは違う。
アンディを失ったからロックを求めたというのはただの卑屈な考えだ。
自分はその場で、アンディ・ボガードとロック・ハワードを受け入れた。
いや、それは傲慢か。一緒に居たいと思う気持ちに、順位も優劣も、代わりもない。

互いにとって唯一無二であれば、それが絆となる。
例え血が繋がっていなくとも、兄弟に、親子に、人はなれる。
ジェフ・ボガードとの思い出がそれを証明している。

そんな簡単なことから逃げていた。
変わらない。父との絆が永遠ならばまた、兄弟の絆も永遠。

「――アンディ、お前の最高の技で来い。兄ちゃんが、受け止めてやる」

「本気で行くよ…… 兄さん」

アンディの身体にかつてないほどの闘気が収束する。
空気が嵐となって吹き荒れ、その場の誰もが息を呑んだ。
そして、狼の咆哮が、この汚れた街に、美しいサウスタウンに、幼き日のままに鳴り響いた。

「来い! アンディ!!」「うぉおおお! 爆!!」

アンディが選んだ技は斬影拳だった。
速く、そして鋭い。過去最高の、生涯最高の斬影拳。
そのスピードは秦崇雷のそれさえ凌いでいるように見えた。

受け止める。
完全に防御に回ったテリーの腕は分厚いタイヤのように硬い。
だが、タイヤならば焼き切ることが出来る。

「烈!!」

アンディの打撃は斬影拳だけではなかった。
その場で瞬時に身を屈め、最大の瞬発力を以って身を浮かせる。
全身を包んだ炎が溶岩のように荒れ狂う。
斬影拳からの裂破弾。それがアンディ・ボガードの最期の技、斬影 裂破だった。

焼印を押されるような嫌な臭いを立ち上らせて、
アンディの両足がテリーを押し込んで行く。
テリーは両腕でそれを受け止めたまま言葉にならない叫びを上げながら引き摺られた。
その目の涙を決意に、意志に、アンディもまた咆哮を上げながら威力を持続させる。

立ち込める湯気が引いた時、舞達が見たのは尚も立っているテリーと、
膝を突き、しかし険の取れた、少年のような顔で笑っているアンディの姿だった。

「参ったよ、兄さん…… とうとう勝てなかったね……」

「アンディ……!」

前に崩れるアンディをテリーががっしりと抱き止めた。

「お前は、俺の弟だ…… 誰が何と言おうと、それはあの日から、永遠に変わらない……」

「兄さん……」

駆け寄ろうとする舞をジョーが首を振って止める。
弟を抱き寄せる兄の背へ差す光は、もう一度兄弟に戻った二人を、
そしてもう、永遠に分かたれることのない二人を、父が祝福しているようだった。

アンディが咳き込んだ。
そこから弾けた血はこの闘いのダメージではない。

「舞ちゃんのところでゆっくり休め」

「兄さん、ギースを……」

「ああ、悪ぃな。奴との決着は、俺に任せてくれ」

「良いよ…… 僕が超えたかったのはギースじゃない……」

「ああ、解ってる」

あの薄暗い孤児院で出会った日から、ずっと――

再び咳き込むアンディへ舞が駆け寄って来た。
アンディの身体を舞に任せ、テリーは立ち上がる。

「テ、テリー、勝てよ。ヒィヒィ言わせて来い」

ジョーが苦痛を根性でカバーし、笑顔を作って言った。

「おいおい、お前がヒィヒィ言ってんじゃねぇか」

「ヘヘヘ…… 笑わすなよ。こう見えても結構、痛てぇんだぜ」

「結構じゃないでしょ。青白い顔して」

マリーが呆れるように割って入って来た。
それにジョーは反発するが、すぐに激痛に蹲る結果となった。

「マリー、後は頼めるか?」

「あら、残念。私もKOFの参加者なのよね」

「あらら、んじゃ一戦やるかい?」

「まぁ素敵。こんなか弱い女の子相手でも容赦ないのね。
 冗談よ、私もそこまで野暮じゃないわ。手のかかる人達だけど、後は任せて」

「サンキュ」

「その代わり、戻って来たら一杯付き合いなさいよ」

「OK! 自棄酒に付き合わせるわけにゃいかねぇ。
 こいつはいよいよ負けるわけにはいかなくなったな」

肘で小突くマリーに笑顔で腕を叩いて応え、テリーが笑う。
それを見に来たというのもあながちでまかせでもないマリーもまた、最高の笑顔で返した。

踵を返す。行く先はサウスタウンビレッジ。
そしてその先に威圧的に聳え立つ、あの男の城。

「テリー」

舞に呼び止められた。
その目には喜びの涙が一杯に膨れ上がっている。

「ありがとう……」

「ああ、アンディのこと、これからもよろしく頼むぜ」

――さて、行くか……

力強く頷く舞を見た後、テリーがゆっくりと歩を進める。
その背の声援は何よりの力となってテリーを押した。
だが、それまでだ。やがて声は聞こえなくなる。

子を捨て、親を捨てた。
そしてもう、弟は兄の背を追わない。
全てを手に入れると同時に全てを失った。

だが、それで良い。
何も背負わず、ただ一匹の餓狼となる。
あの男と決着をつけるにはその方が良い。いや、そうでなくてはならない。

餓狼に――

テリーの顔にはもう、緩んだ笑みの形跡は跡形も無かった。



「テリー、行っちゃったね……」

「また会えるさ…… 兄さんが負けるはずがない」

「ああ、これで終わりじゃねぇよな。テリーも、お前も。
 しっかりと身体休めてよ、そしたらまた始まりだ。
 テリーとの決着はついたかも知れねぇがよ、俺様との決着はまだだもんな、アンディ」

「あら、ジョーはアンディにこてんぱんにやられたからそんな傷こさえてるんじゃないの?」

「バ、馬鹿、舞、お前! あれはだな!
 俺様がついサービスで蹴りの予告を出しちまったからあ、いて、いててて……」

「ふぅ…… 馬鹿は貴方でしょ? さっさと病院行くわよ」

「ハハ…… 悪いが、ジョー。俺はもう闘うつもりはないよ」

「え?」

「僕は兄さんの背中には追い付けなかったけど、弟子を育てるよ。
 兄さんよりも、勿論ジョーよりも強い弟子をね」

「――そうか…… 決めちまったんなら、仕方ねぇよな。
 俺様を超えるのは半端なシゴキじゃ足りねぇだろうが、お前なら出来るさ。
 楽しみにしてるぜ」

「ええ、私達の子供ですもの。きっと世界最強になれるわ」

「ありがとう、ジョー、舞……」

「…………」

「って、舞! 私達の子供って何なんだ!?
 別に俺はそんなつもりで言ったんじゃないぞ!?」

「あらやぁね、アンディ。そんなつもりってどういうつもりなのかしら?
 でも私はいつでもOKだったりして…… とか言っちゃったりしてキャー!」

「――皆さん元気そうだし、私、ホテルに戻って良いかしら?」

【38】

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