10 years after――

1992年、夏、テリー・ボガードは再びサウスタウンの地に足を踏み入れていた。
朝のイーストアイランド。
近代的な高層ビルが立ち並ぶその隙間からサイレンが鳴り響いている。
並んで飛ぶハトの白が浮いて見えるほど、その街の空気は淀んでいた。

そのハトを征服するように、さらに上から鳥を見下ろす最も巨大な摩天楼。
それが、今や栄耀栄華を誇るギースタワーだった。
ただその下を歩いているだけで、あの男の狂眼に見下ろされている気がする。

アンディに会う前に、その場所を、眼に焼き付けておきたい。
それを網膜に記憶することで決意が力に変わる。
そういう信仰が、テリーにはあった。

赤いキャップに、赤いジャンバー、
下はジーンズに青のシューズというラフな格好に、
麻の小さなズタ袋だけを下げて、テリーは追憶を映像のように眺めながら、
腹の底の、焼け爛れる闘志を抑え付け、一歩、また一歩と大地を踏み締めた。

天空から見下ろすようなビルの群でさえ、この決意を踏み潰すことは出来ない。

と、

視界を過ぎる、黒いリムジンの繋がり。
同じ目的地へ向け、黒い噴煙を撒き散らしている。

ドクン

心臓が跳ね上がった。
あの時の車かどうかなどは確かめる術もない。
だがそれは間違いなく、あの時の男が乗っている車だと映像が告げた。

ホワイトハウスのような、ギースの城。
『ハワード・コネクション』という、この街はギース・ハワードの私物であるということを
畏怖と共に刷り込む、ボードが顕示されている。

黒い群が止まり、黒い男が現れた。
そのスキンヘッドの男はスローモーションのような動作で後部座席のドアを開く。
ゆっくりと、玄関に最も近い位置にある車から、その男は、現れた。

漆黒のスーツに身を包んだその男は、しかし他の黒服達とは存在感が違う。
幽鬼のようにゆらりと、身を屈めていた男の背が伸びる。
そして、振り返った男のその、どこまでも冷酷な眼は――

記憶の映像を、掻き乱して終了させた。


走る。
何も考えず、反射神経に弾かれるままに走る。

後ろの車から、紅白のストライプの入ったバンダナを締め、
朱い棒を持った男が乱暴に現れた。
他にも黒服の男が二人。さらに中からも出迎えの男達が四人出て来る。

構わず、走った。
目もくれずに道路を横切り、走り抜いた。
車のクラクションと、テリーの荒々しい足音が、あの男の凍ったブルーの眼を引き寄せる。

バンダナの男が猛禽類のような狂眼で睨み付けて来る。
スキンヘッドの男と、ボリュームのある黒髪にサングラスの男が後ろを指差すと、
中から出て来た男達が懐に手を忍ばせてポジションに散った。

だがそんな物は目に入らない。
壊れた心臓の鼓動に急かされるように、テリーはギース・ハワードへ向け、
眼光を滾らせて走った。

構えられた銃を棒を持ったバンダナの男が止める。
テリーは玄関口に立つと、背後に回られた銃を構えた男二人が存在しないかのように、
ただギース・ハワードの眼だけを、漲る炎で焼き焦がすが如く見据えた。
玄関口の長い階段の上から、ギースの双眸も、全く動かずにテリーの眼を凝視している。

「なんだぁ? テメェは」

ガードのリーダーらしい、
黒いベストに似合わないネクタイを付けたバンダナの男がギースの正面に入り、
両手で構えた棒を、距離のあるテリーの喉元へと照準を合わせながら言った。

それを見て全てを任せたのか、ギースは二人の男を連れてタワーへと再び階段を歩み始めた。
構える。
吐き出した血反吐で牙を彩って、地べたを醜く這い回りながら身に付けた、
テリーのワイルドなファイティングポーズ。
そして喉を削るように吠えた。

「ギィィィィスゥゥゥゥゥ――――ッッ!!」


刹那、テリーは棒の照準を外し、高速で駆け込む。
大地を砕くような強い踏み込み。反応出来るスピードではない。
が、その直後に横薙ぎに振るわれた棍に、テリーは弾き飛ばされていた。

「ふざけてんじゃねぇぞ、野良犬が……!」

ギース・ハワードしか目に入っていなかったが、この目の前の男、強い。
周囲を見渡すと、教育の行き届いた黒服の兵達が、
決して逃がさぬようしっかりとした陣形で銃を構えている。
銃口に囲まれたコロシアムで、テリー・ボガードと、バンダナの男――
ビリー・カーンが対峙していた。

ビリーがゆっくりと降りて来る。その眼光は刺すように鋭い。
それと同じようにビリーの背後の黒服も銃を構えたままゆっくりと間合いを詰めた。
リングが徐々に狭まって来る。
正面にビリーが立ち、黒服四人はテリーの左右を取る。

階段の下方、起き上がったテリーに今度はビリーが照準のままに、
その棍を水平に突き出した。
外す気は全くない、喉元を狙った即死の一撃。

だが突き出した瞬間にはもうテリーはいなかった。
顔面に熱と衝撃を感じたと思った刹那、ビリーの身体は宙に浮き、
黒服のコロシアムを突き崩していた。

「――んだとぉ!?」

その場所から、テリーは走ってビルの隙間道に消えた。
起き上がったビリーはそれを追おうとしたが、すでにその姿はなく、
素早く身を隠したテリーに、黒服達も発砲の間を与えて貰えなかった。

「野郎!」

棍を地面に叩きつけ、ビリー・カーンが吠えた。
吐き出した血のりには、歯が混じっていた。



そう簡単にはギースには近づけないな。

脱いだ帽子から露出した金色の頭を掻きながら、テリーはそんなことを思った。
さすがに無茶が過ぎたと反省の色がある。
歩いてセントラルシティまで行くのはいささか時間が掛かる。
テリーはタクシーを呼び止め、それに乗っていた。

しばし眠ろうかとも思ったが、どうにもこの街の荒れたような騒がしさは、
自分がサウスタウンに久々に帰って来てまだ慣れていないから、
という理由ではないような気がした。
腕に自信のありそうな男達がゴロゴロと街を徘徊している。
そして至る所に張り巡らされた、『KING of FIGHTERS』という垂れ幕。

「何かショーでもあるのかい?」

座席にもたれ掛かり、後ろ手に腕を組んで運転手に聞いた。

「あれですよ」

運転手の指差す方向には、大きな、男が殴り合う看板が建てられていた。

「KOFですよ。知りません? ハワード・コネクションの格闘大会です」

――ハワード・コネクション……

「――止めてくれ」

テリーはセントラルシティまでもう後、数キロといった所で車を降りた。
看板の前に立ち尽くして、再び見た、あの凍てついた狂眼を思い出す。
グローブの向こうで、手が汗を滲ませる。
歯を噛み締めたのは、怒りか、あるいは恐怖ゆえか。

そんな思考を切り裂いて、声がした。

「あんたも出るのかい?」

振り返ると、黒髪を逆立てて、黒いマントに身を包んだ、同年代くらいの男がいた。
マントの隙間からは肌色の素肌が見えた。
頭にしているハチマキの日の丸を見るに、間違いなく日本人だろう。
靴も履いておらず、ただバンテージを巻いているだけの妙な男だった。

テリーがまじまじとその奇異な姿を見ていると、男はおどけた様子で言った。

「あ、あれ? やっぱり判っちゃう?
 そう、その通り。俺はムエタイチャンプのジョー・東様よ!
 まぁ試合ほっぽり出して出て来たから今頃は追放されてっかも知れねぇがな!
 あっはっはっはっ!」

「いや、誰だ? というか、笑い事か?」

はぁ!?、という大きなリアクションを取って、ジョー・東は項垂れた。

「いやぁ、まぁね。知らねぇ奴もそりゃいるわな。極一部に……」

今度はじとーっと恨めしい目で下から覗き上げるように言った。
コロコロとよく表情が変わる奴だ、とテリーは思った。

「追放はまぁ仕方ねぇよ。
 ムエタイには俺とケンカ出来る奴がいなくなっちまったんだからな。
 ボクシングん時と一緒さ。もっと強ぇ奴が居る場所に、このジョー・東様は乗り込む!
 そして瞬く間に制圧するのだ! これがジョー伝説よ! わっはっはっはっ!」

何か勝手に喋っているが、
どうやらこの男はムエタイの前にはボクシングをやっていたらしい。
テリーにとっては本当にどうでも良いことだったのだが、
この男の底なしの明るさに不快感はなかった。

「で、あんたも出るのか? なかなか強そうだし、俺としては闘ってみてぇな」

ひとしきり笑った後、ジョーは再び聞いた。

「ハワード…… この大会に出れば、ギース・ハワードに会えるのか?」

真剣な眼。
ジョーの表情も鋭くなった。

「あんたもギース・ハワードと何かあるのか?
 ――そうだな、優勝すれば表彰式とか、祝賀会で会えると思うぜ」

「そうか。サンキュ」

そう言ってテリーは手を上げ、そのまま去ろうとしたが、
ジョーに肩を掴まれ、止められた。

「そいつに会って、どうする気だ?」

今までとは違った、低いトーンのジョーの声。

「さぁな、ただ決着をつけるだけさ」

張り詰めた雰囲気のまま、時間が流れる。
車が何台か通り過ぎて行く。
ジョーが大袈裟にかぶりを振ってため息を吐き出した。

「ギースって野郎は相当の悪党みてぇだな。
 俺の知り合いも、あんたみてぇなギラついた眼ぇして、
 親の仇だとかそんなこと言ってやがった。
 本当にぶち殺しちまうんじゃねぇかって、こっちがビビッちまうくらいにな」

――親の仇?

心に、引っ掛かりが生まれる。

「やめとけ、やめとけ。
 そんなこと考えて闘ったって、何も面白いこたぁねぇぜ。
 もっと人生楽しめよ、なっ!」

最後の言葉と同時に、ジョーはむせるほど強くテリーの背を叩いた。
非難の声を上げようと思ったが、また豪快に笑っているこの男にどうにも毒気を抜かれ、
言葉は口から出なかった。
つい先程まであんなに湿っていた掌も、今は乾いている。

テリーは肩を抱かれたまま、近くの店に引き摺りこまれていた。



PAO PAO CAFE、という看板が掛かっていた。
異国――ブラジル風の妙な店だ。
独特な造形の龍の柱をジョー・東が少年のように眺めている。
カッコ良いなー!ということらしい。
テリーの注目は太鼓の演奏の聞こえる大きなステージにあった。
裸の上半身に灰色のズボンだけを纏った髭の男が、逆立ちをしながら大男と闘っている。

テリーがそれを見ていると、ジョーがやって来て解説を始めた。
どうもこの男は喋るのが心底好きらしい。

「ありゃカポエラだな。
 元々は両手を拘束された奴隷達が編み出した格闘技で、その分、足技の切れは抜群だ」

「詳しいんだな、ジョー」

さして興味はなかったが、この頭の軽そうな男の知識には興味が沸いたので、
感心したようにテリーは言った。

「おう!ボクシングをやめた後、俺様に合う格闘技を求めて
 キック系を色々探し回ったからな。
 残念ながらカポエラは落選だ。……いまいちカッコ悪いからな」

そんな会話をしている間に、逆立ちの男の蹴りが大男を捉え、
そのまま回転するように正立ちになりながらの美しい蹴りで試合は終わった。

「――ま、あそこまで極めりゃあカッコ良いかもな」

テリーの物言わぬ視線に、冷や汗をかきながらのジョーのフォローが入った。

「でももっと面白れぇ蹴りだってあるんだぜ? 骨法って知ってっか? 知らねぇよな。
 日本の古流武術でな。ダチのアンディって野郎が使うんだ。ほら、さっき話した――」

「アンディ? アンディ・ボガードか!?」

「あ、あれ? 骨法知ってたの? いや、すまねぇな、俺ぁてっきり……」

「いや、骨法は知らないが、アンディなら知ってる。俺の弟だ」

互いに驚きの様子だが、テリーは興奮し、ジョーはポカーンとしている。
だがそれも一瞬、ジョーはまた大笑いしながらテリーの背をバシバシと叩いた。

「あんたがテリーだったとはな! こいつは傑作だ! あっはっはっはっ!」

テリーは何か知ってるならアンディの話を聞こうと思ったのだが、
叩かれる背中にむせ返って、言葉を紡ぎ出せずに居た。

こいつ……



アンディ・ボガードはテリーが旅立った後、しばらくタンの元での修行を続けた。
だが、その一回り小さい体格ゆえに、アンディは一度もテリーに勝ったことはなかった。
同じ拳で、兄に勝つことは難しい。
それは同時にギース打倒も難しいということだった。

思い悩むアンディにタンは、一枚の書状を渡した。
山田十平衛という男への、紹介状である。

「タン先生、これは?」

「柔よく剛を制すという言葉がある。それを体現する男の名じゃ」

山田十平衛――

鬼と呼ばれた、柔道家である。
小柄ながらその投げ技の腕は異名通りの荒々しさで、
単に柔道家としてのみならず、太平洋戦争での活躍は、彼をまさに鬼神と噂させた。
ギース・ハワードが日本へ行った際のジャパニーズマフィアからのリストにも、
この男の名は記されてあった。

だが、その十平衛にも敵わない相手が居た。
それが、タン・フー・ルーである。
タンに敗れた十平衛は柔道技のみでは八極聖拳には敵わないと悟り、
打撃にも率先して取り組み、打撃系格闘技との他流試合も度々行った。
戦場で使った拳もそれである。

それ故、連盟からは破門されて久しいが、
その彼の作り上げた拳は必ずアンディに合うとタンは確信したのだ。

アンディはすぐに、日本へと飛んでいた。


「才能は素晴らしい。気骨もある。
 こやつは日本人が忘れた、侍の魂を持っておる」

と、山田十平衛は即座に彼を評価した。
確かに身体は小さいが、日本人の同年代の子供と比べれば特別小さいわけでもない。
それに柔道は体重別だ。それがネックとなるわけでもない。

だが、アンディの目的は柔道でメダルを取ることなどではなかった。
彼の眼には、ギラついた殺気めいた物が常に秘められていた。

物足りない。

年上の有段者を投げ飛ばす度に、アンディの瞳は無言でそう語っていた。

このアンディ・ボガードという少年は、自分の殺人拳の全てを欲しがっている。
それは、事情が記されたタンの手紙を読んだ時にもう判り切っていた事だ。
だが、戦争で多くの人間を殺し、そして失って来た十平衛は、
人の命の重さと、儚さを、噛み締めるほどに理解していた。

自分の下では、この子は育たない。

それが、山田十平衛の結論だった。

だが彼はタンから預かった子供を放り出すような無責任な男ではなかった。
適任者は別に居る。
それが解っていたからこそ、アンディを放棄する覚悟を決めたのである。

彼だとてメダルを取れる逸材をなくすのは惜しいが、
このアンディ・ボガードという少年のどこまでも真っ直ぐな想いは、
例え目的が歪んでいたとしても、あまりにも悲壮で、そして無垢な物だった。
彼に殺人拳を教えることは出来よう。
だがその精神までもこのまま真っ直ぐ鍛える自信は、未だ思い悩む十平衛にはなかった。

もっと、生き死にを割り切った親友が、彼には居た。
その、常に生死を賭けた闘いをする男に十平衛は一度も本気を出すことはなかった。
仲が深すぎる故に、互いに殺気を出せず、それはいつもただのジャレ合いで終わる。
いや、相手の殺気を受けることを、十平衛が拒否し続けたのだ。
ことさら戦争での犠牲が大きかった彼は、命のやり取りを、いつもおどけて拒絶した。

「飛騨という所にお前の望む拳法を持った男がおる。
 そこへ行け、アンディ」

そう言われたアンディに戸惑いはなかった。
自分の体格を受け入れた上であらゆる可能性に賭けてみたいという想いが、
いや、あらゆる可能性に賭けねばならないという強迫観念が、
今の彼の思考の全てだった。

「そこには舞ちゃんというお前と同じくらいのおなごがおる。
 わしの見立てではもう10年もすればボインボインになっておるはずぢゃ。
 行け、アンディ! そこで心身を研ぎ澄ませて来い!」

その言葉に強く頷いて、アンディは礼を言った後に十平衛の道場を去った。
テリーと別れて、すでに一年ほどが経過している。
少年は、時間がないという焦燥にも囚われていた。

紹介されて旅立った飛騨の山中には、不知火半蔵という男が居た。



「――でよぉ! そいつの蹴りがモロにココに入りやがったのよ!
 まさかんな角度から蹴りが飛んで来るたぁ思わねぇもんな。
 いやぁ、俺は初めて負け――引き分けたね!
 そん時にもうボクシングはやめて、足技も覚えようって思ったわけよ」

何故か二人で飲むハメになってしまったテリーは、
ジョーがコメカミを突付きながら語るアンディの話を夢心地で聞いていた。
あのアンディが、強くなって、逞しく成長している。喜びが胸を満たしていく。
そうか、そうか、とテリーは何度も頷いた。

日本の忍者が使う、不知火流という骨法。
どんな物なのか想像も付かなかったが、
テリーは初めてアンディを置いて去ったあの日から、罪悪感が消えないでいた。
それを償うためにも、無理に無理を重ねて、身体を虐め抜いた。

初めの一年はサウスタウンから出ず、
街で最も治安の悪いポートダウンタウンへ下り、ストリートファイトに明け暮れた。

小さな身体を容赦なく打ち抜かれたが、食い縛ったままの歯で血の味を噛み締め、
父から教わったジェフ流喧嘩殺法を武器に、テリーは闘い続けた。
まだ拙いながらも“気”を使えるというアドバンテージがある。
小さい身体で、テリーは打ちのめされながらも決して膝は突かず、
魂の篭ったグローブでバーンナックルを打ち込み続けた。

初めて負けた相手は、マーシャルアーツの道場に通っている、
打撃にも投げにも精通した男だった。
悔しかったには違いないが、そこで荒れることも、腐ることもなかった。
テリーは眼を見開いて、牙に付いた血を拭った。

その血の臭いを追うように、彼は道場に辿り着いていた。
金はない。テリーは毎日、窓ガラスに噛り付いて、その技を吸収した。
執念としか言い表しようのないテリーの行動だった。

やがて一年近くの時間が流れ、テリーは無言で道場内へ入った。
いつも覗いていた子供が入って来る。
道場の人間達はそれをからかって笑ったが、
テリーは自分を打ち負かした男へと一直線に歩いて行った。

挑発するようにリングに上げる。
そして、倒した。
笑っていた他の道場生達は、この少年を倒そうと掴みかかった。
テリーは多勢を相手に、それも打ち倒した。

「ありがとう」

恨みの声も無感動に、道場破りはそれだけを言って去って行った。


そのままサウスタウンを出たテリーは、ストリートファイトで稼いだ金を使い、
生まれ育った街から遠く離れた、カリフォルニアへと向かった。
少しずつ、少しずつ強くなって、サウスタウンへと帰る。
そう心に誓って、テリーは残りの9年間を放浪の旅に費やした。

血反吐の塊で牙を研ぎ、傷だらけの小さな狼は、強く、強く成長していった。
瞳を瞑る度に現れる、ギース・ハワードと、ジェフ・ボガードと、アンディ・ボガードの顔を、
自らの誓いとして力に変えて、テリーはボロボロになるまで闘い続けた。


「アンディ…… 良かったなぁ、アンディ……」




そのまま酔いつぶれて寝てしまった二人は、このパオパオカフェの店長、
リチャード・マイヤに首根っこを掴まれて闘技場の控え室に運ばれていた。
リチャードはつまみ出そうと思ったのだが、そのあまりにもだらしない日本人はともかく、
帽子を被った欧米人の幸せそうな涙を見て、その考えをやめた。

目を覚ましたテリーはその見知らぬ風景に目をキョロキョロとさせていたが、
やがて事態を察知すると、ジョーを叩き起こそうとした。
が、そのテリーの声すら掻き消すような、大きなイビキにそれを諦めた。

テリーは暫くやれやれ、と呆然としていたが、大事な約束を思い出した。

10年後、この墓の前で――

父の命日は、今日だった。
すでに夜が明けようとしている。まだイーストアイランドだ。

テリーはずれ落ちたジョーの黒いマントを掛け直してやると、
片手を顔の前にやってウィンクするように謝罪し、部屋を後に駆けた。

店ではすでにマスターと思われる男――
リチャード・マイヤが黒の制服を着てグラスを磨いていた。
リチャードはテリーが出て来たのを見ると軽く笑った。目が合う。

「すまない! 金はあの日本人から貰ってくれ! ムエタイチャンプだそうだ!」

店長はOK、というマークを手で作って笑った。
その髭に覆われた口元は、よく見ればあの、逆立ちで闘っていた男だ。
テリーは彼にも片手を立ててウィンクすると今度は店の外へと駆け出した。

昨日の朝とはまるで違う、澄み渡った空が広がっていた。



懐かしい、10年前の、丘の上の墓地――
テリー達には特別思い入れのある場所ではないが、
そこはタン・フー・ルーとジェフ・ボガードが出会った場所らしい。

ストリートファイトで勝ち続けていたジェフを恨めしく思った敗者達が彼を追い込み、
最後の闘いの場所として選ばれたのがそこだったそうだ。
多勢に打ちのめされていたジェフをタンは八極聖拳で救った。
そこから、運命は廻り始めた。

今も、そんな見たこともない映像が、そこにはあるような気がする。


テリーが辿り着いた時、その場所は空気を裂くような火花に支配されていた。
しばし目を疑う。金色の、長い髪。
話には聞いていたが、立派になった。

まだテリーよりは一回りほど体格は小さいが、
その青みがかった動き易そうな胴着を擦り、研ぎ住まれた刃物のような眼で闘う男は、
成長した、アンディ・ボガードその人だった。
相手は、タン・フー・ルー。
決戦を前にした最後の手合わせに、大気が震えている。

アンディの肘が飛んだ。
およそ一足で踏み込める距離ではないにも関わらず、
その肘打ちは瞬時に間合いを詰め、タンを防御の上から激しく揺さぶった。
さらにアンディの掌打が飛び掛かり、
最後には巻き込むような竜巻蹴りがタンの頭部を襲った。

それを受け止め、タンは目を細めて笑った。
孫の成長が何よりも嬉しい。
そして、テリーが来たことにも、タンは気付いていた。

「アンディ、強くなったな」

その声に、アンディもすぐに兄だと気付いた。

「兄さん!」

10年振りの再会を噛み締め、テリーはアンディを抱きしめた。

「ちょ、兄さん、やめてくれよ! もう子供じゃないんだ!」

そうだな、と深い声で言いながらも、テリーは暫く腕を離さなかった。

――本当に、見違えたぜ、アンディ……

軽く笑った後、タンに向き直り、左の掌に右拳を押し当てて挨拶をする。
タンも微笑んでそれを返した。
丘の上から見る夕陽はとても幻想的で、
まるでそこから父が微笑みかけてくれているように、暖かかった。

「随分遅かったね、兄さん。この街を忘れちまったのかい?」

――そうだな、とテリーは天を仰いだ。

10年前と、まるで同じようで、どこか変わったような街――
淀んでいるのは変わらないし、暴力的なのも変わらない。
だが、それが全てあの男に結びついていると思うと、
かつての街の空気とは違った味がした。

それは、自分だけの感覚なのか、本当に変わってしまった、
この街の現在なのか、テリーには解らなかった。

「――ジョー・東に掴まっちまってな」

テリーは苦笑いで、そう答えた。

アンディはジョーが来てるのか?と身を乗り出した後、
「そいつは災難だったね」と、笑った。
テリーも笑って頷いた。

「ジョーが来てるとなると、あいつもKOFに出るんだろうね」

「ああ、そうらしい。って、お前もそうするつもりだったのか?」

「タン先生と相談してね。
 父さんもかつてこの大会で優勝して、ギースと闘ったらしい」

「父さんが?」

それは、知らなかった。
因縁は全て整ってるってわけか。

「こいつは良いな、アンディ。腕試しが出来て、ギースにも近づける。
 一石二鳥ってヤツだ」

テリーはタンに大会の日取りとルールを聞いた。

かつてとは違い、今のKOFは各種メディアにも注目されており、
街の熱狂の通り、多数の観客に見守られる大会になっているらしい。
もっとも、そのかつての大会を知らないテリーにはピンと来なかったろうが、
ギースの力が今や表社会をも制圧していることは解った。

腕が鳴る。
上機嫌のテリーはジェフ・ボガードのように逞しくなった太い腕を叩いて、
意気込みを表現した。

ただ一人、アンディだけが訝しげな表情で兄を見ている。



KING OF THE FIGHTERS――

完全に公な大会となったこの大会だが、相変わらずルールらしき物はごく僅かしかない。
エントリーした選手がイーストアイランド中を徘徊し、
そこで対戦相手に出会ったら試合が始まる、という街頭ケンカルールだ。

武器の使用も事前の審査を通っていれば何も問題はない。
刃物でさえ審査を通ることもある。
その暴力性が他の大会にはないKOF独自の魅力だった。

広大なイーストアイランドをただ徘徊しているだけではすれ違うケースも多発するだろうが、
そこは彼ら一人一人にハワード・コネクションの人間が数名付くことでカバーする。
彼らが無線で連絡を取り合い、参加選手を、
ある程度相手の意思を汲みながらもバランス良く引き合わせるのである。

対戦を挑まれた方は、拒否した場合は棄権と見なされるため実質拒否権はないが、
連戦となる場合は次の日へ持ち越す権利が発生する。
中継の準備が出来次第バトル開始だ。

つまり、いつ、どこで試合が始まるのか街の人間にも判らないのである。
それ故、KOFは試合が始まったという情報が出ると、場所を探し、
そこへ駆けつけるという一種の宝捜しのような楽しみ方もあった。
勿論ただの街頭観戦なので観戦料などは取られない。
この大会の利益は、全て賭けによって賄われるのである。

そして参加選手も、近年は元S・W・Fのトップレスラー、ライデン、
元ムエタイチャンプのホア・ジャイ、そして前年の優勝者のビリー・カーンという、
人気選手の群雄割拠で、非常にレベルの高い布陣が揃っていた。

例年通り乱入者も認められている。
ただし事前の審査がないため武器の使用は出来ず、
乱入自体も大会一日目のみしか認定されない。

逆に言えば誰かターゲットが居るならば突然乱入し、
事前の情報収集を行わせずに、意表を突いて名を上げることも可能となっている。
勿論、乱入された側は連戦時のみ翌日持ち越しが可能なだけで、拒否権は存在しない。
これにより、因縁マッチが続発するのである。

これがファイター、ギャラリー共に盛り上がらないはずはなかった。
かつて、サウスタウンの高級街のみだったTV中継は
今やアメリカ全土にまで拡大していた。
これだけの大会を毎年プロモートするギース・ハワードという男の才を
各界の人間達はひたすら賞讃した。

だがこの大会の本当の意味を、知る者は少ない――



相変わらずささやかなタンの家で三人の話は弾んだ。

辛く厳しい修行時代の話も、三人で笑い合えばたちまち笑い話になった。
もっともジョーから聞いた不知火舞という女の子の話を
テリーが何度も何度も持ち出してからかうため、アンディは終始苦笑しっぱなしだったが。
とりあえず、テリーの道場破りの話は非難を浴びた。

それでも尚も不知火舞の話題を引っ張ろうとする嫌らしい兄をアンディが軽く小突くと、
テリーは脇腹を押さえて、やや顔をしかめた。

「兄さん?」

「いやぁ、ちょっとギースのとこに行った時にな……」

ギースの所へ行った。
とんでもない事をサラッと言うこの男にタンでさえ眉に隠された目を剥いた。
ギース・ハワードのビルへ直接乗り込むなど、およそ正気とは思えない行動だ。

だが彼らは咎める前に、テリーの傷を心配した。
その予想はそのまま考えて、銃による傷だと思われたからだ。
大したことはないと言うテリーの言葉など信じられようはずがない。

テリーのシャツをめくり、脇腹を見ると、そこには目を奪われるほどに鮮やかな
横一線の赤いミミズ腫れがあった。
そのある意味、銃痕よりも生々しい傷に、二人は戦慄して動きを失った。

「だから、棒で殴られたんだってば! ――まぁすげぇ使い手だったけどな」

そしてそれ以上に、恐ろしい眼をしていた。
テリーはあの猛禽類のような鋭い眼を、鮮明に記憶していた。

「歩く凶器、ビリー・カーン……」

アンディが呟いた。

「知ってるのか?」

「ギースの一番の腹心じゃよ」

返事はタンから来た。

「テリー、ギースはまだ曲がりなりにも武闘家じゃが、ビリー・カーンはそうではない。
 あ奴は限界まで訓練された、ギースの殺し屋じゃ。
 その残虐さはギースをすら凌ぐ。手を出してはならん……」

「ですが、ビリー・カーンを倒さない限り、KOFで優勝は出来ない」

答えを聞くように言うアンディには何も答えず、タンはただかぶりを振った。

テリーは脇腹の腫れを見ながらあの狂眼を思い出していた。
同じ狂眼でも、ギースとは似ているようで違った。
ギースのそれは芯まで凍るような鈍い重さがある。
だがビリー・カーンのそれは、そのまま心臓を射貫かれるような、鋭さがあった。

確かに、あれは普通の男の眼じゃあない。
何人殺して来たのか見当も付かない、生きたまま地獄に棲む男の眼だ。

ビリー・カーンはKOFの初出場の際に乱入して来た男の軽率な挑発にキレ、
その男を文字通り再起不能にし、中継を途中で打ち切られた事がある。
カメラの故障ということで公にはされていないが、
それ以来、ビリーに乱入する人間はいない。

昨年の優勝もビリーは徹底的に避けられ、
犠牲者一名と、ライデンとの決勝戦しか彼は試合を行っていないのである。
明らかにビリー・カーンは、他の格闘技者とは違った。

居間に、会話はなくなった。

KOFは三日後から始まる。
もう受け付けは間に合わないため、テリー達は素手で乱入するしかない。

【15】

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